在職している会社で”アカデミー”というビション理念共有のためのお勉強タイムがある

その中で”ごみ問題”のセクションがあり、ズバッと心にささった言葉を貰ったWW
”ごみとするかしないかは主観的な問題なので、その後どうするかはいつでも変えられる”
おお、そうなんだよ、自分が不要=ごみと思ったら その瞬間から 価値を見出していないモノ=ごみとなる その後どうなるのかが分かっているもの 例えば貴金属は”売れる=循環する”モノ“については関心を持つし持てるが、それ以外のアイテムは循環のインフラがあったりなかったりで それならタダだから捨ててしまえ! になってしまっている💦
話は少しそれてるが”捨てる”に相当な費用や労力という大きなストレスが掛かりさえすれば、行動変容のフックになるのだが、政治家の政争道具にされて”タダ”になっているので今の状況に陥っているWW
ごみ問題から投影して、”自分で決める特権は誰にでも与えられている”のではと改めて確認した
どう思い、
どうしたいか
そして実際どうするか
本日8・6は広島原爆投下から77年の日、不条理に人生を終えなくてはならなかった英霊に心からの哀悼の意を表し、こんな大惨事後に得た”平和”のありがたさ 思う通りに生きられる今に思いが溢れた 皆さんの分までと大それたことは言えないまでも、まず自分は”一生懸命生きる”ことは約束したいWW
この平和な時代には”人生は主観的である”ということがベースとなれているのだから!
well being それではまた!!