snsの取説はあって然るべき、、、
言論の無制限の自由はない、、、そんな記事を目にして思った 言論の自由は厄介なものでその権利は誰にでもあるのでどんなに耳が痛くても まずは言わさないはない
でも誰かと共に生きている我々は自分だけの思い通りには出来ないし、そう仕向けるのも筋違いになる 相手がいない思わない言動態度には一定の規制が掛かるのは当然で 逆にそうしないとその自由が保てなくなると思う
群馬県ではいの一番でカスハラ条例が制定された 必要以上の権利を高圧的に求めて良いはずがない いつでもどこでも誰でも呟ける時代、、、便利にはなったがそこに安易さが伴うと意図以上の影響が出てしまうことを踏まえておきたい
そもそも発信は誰かに届けようとコミュニケーションをしようとしているはずだ こんな自分を見て欲しい聞いて欲しいの承認欲求が元にある なのに攻撃をしてどうなる
姿を隠していたらあなたとは分からない、、、本当はそんなことは望んでいないはずだ 自分と他人は違う 姿形から始まり全部違う ただ実現したい未来は重なる部分はあるかもしれない それでもそこまでのアプローチは違うかもしれない それは認めましょうよ
今私がこうしている間も 知らない誰かが動いてくれているからやってられるのは流石に分かるはず 誰かを蹴落として成り立つ世界はないのだ
そこの原理原則は踏まえておきたい
well being それではまた‼︎