続いていくものの力──新聞が教えてくれる、読むという営み
朝、ポストを開けると、新聞が届いている。
それはもう何年も変わらない風景だ。
雨の日も、風の日も、土日も関係なく、新聞はそこにある。
この「変わらずに届く」という事実に、静かな価値を感じている。
新聞は情報を届けるだけのものではない。
むしろ、情報の洪水のような時代にあって、紙の新聞は“読む”という行為を守ってくれている。
スマホの通知に追われる日々の中で、新聞を広げる時間は、思考が深く沈んでいく貴重なひとときだ。
読めない日もある。
数日分が積み重なっていくこともある。
けれど、そこに“読まれるべきもの”があるという存在感が、読むという習慣をつなぎとめてくれる。
新聞がある限り、「また読もう」と思える。
それは、読書習慣の帯のようなものだ。
切れそうで切れない、細くて強い糸。
本を読む時間が取れない日でも、新聞の1面だけでも目を通す。
それだけで、世界との接点がひとつ増える。
自分の思考が、少しだけ広がる。
それが積み重なると、知らず知らずのうちに「読む人」でいられる。
新聞は、毎日届く。
その静かな継続が、日々の自分を少しずつ支えてくれている。
読むという営みを、絶やさずにいられるように
well being それではまた!!