「勝つ」から「背負う」へ──大の里が踏み出す、横綱という孤独な道、、、
大の里が連続優勝を果たし、横綱昇進が確実となった。だが、これはゴールではない。むしろ、ここからが始まりだ。
横綱とは、ただの強ければいいというものではない 土俵の上で「相撲道」を体現する存在、、、勝ち方、所作、振る舞い、すべてが見られる。勝って当たり前、負ければ非難。そんな理不尽な重圧を、誰にも頼らず一人で背負う。それが横綱だ
この「横綱」という地位は、江戸時代中期に誕生した。初代横綱・明石志賀之助に始まり、白鵬や双葉山、千代の富士といった名横綱たちが、時代ごとの「強さ」と「品格」を体現してきた。横綱は単なる番付の最上位ではない。国技・大相撲の象徴であり、時代の空気を映す鏡でもある。
昭和の双葉山は無敗の連勝記録で「神」と呼ばれ、平成の貴乃花は「角界のプリンス」として国民的人気を博した。白鵬は勝ち星で歴代最多を誇りながらも、時にその勝ち方が「横綱らしくない」と批判された。つまり、横綱には「勝ち方」以上のものが求められる。
大の里はこれまで、圧倒的な力で相手をねじ伏せてきた。だが、横綱には「受ける」強さが求められる。相手の呼吸に合わせて立ち合い、正面から受け止め、真正面から勝つ。技を交わすのではなく、受けて、耐えて、最後に勝つ。それが「横綱相撲」。
そしてもう一つ。横綱は「象徴」でもある。国技の顔として、時代の価値観や美意識を背負う。令和の時代、SNSで誰もが声を上げる中、横綱は沈黙の中で語らねばならない。言葉ではなく、相撲で語る。それが横綱の宿命。
大の里は「唯一無二になる」と言った。その言葉が本物かどうかは、これからの土俵で証明される。勝ち星ではなく、相撲の質で、時代を超える存在になれるか。
横綱とは、孤独な道だ。だが、その孤独の中にしか見えない景色がある
大の里がその景色を見に行く覚悟があるなら、我々はただ、静かに見守るだけだ。
いずれにしろニューヒーローの到来だ
楽しみがまた増えたね
well being それではまた!!