評価は相対、記憶は永遠――白鵬翔という存在

―終わりと始まりのあわいにてー

白鵬翔が相撲協会を退職した。歴代最多45回の優勝を誇る大横綱が、土俵を離れてなお相撲界に身を置いてきたが、その歩みもここで一区切りとなった。

発端は、自らが招いた不祥事にある。だが、処分の重さは異例だった。部屋預かりという形での処遇は、単なる懲罰を超えた何かを感じさせる。処分の基準が曖昧であるがゆえに、彼の立場は長く宙づりにされた。そこにあったのは、制度の不透明さと、白鵬という存在の大きさゆえの戸惑いだったのかもしれない。

もちろん、原因を作ったのは彼自身だ。だが、それでもなお、じくじたる思いがあったのではないかと想像する。己の過ちを認めつつも、納得しきれないことが胸に残っていたのではないか。しかしこの段階での退職は、むしろ幸運だったとも言える。傷が浅いうちに離れることができたのだから。

長く逗留すれば、傷は深まる。関係性は摩耗し、やがては断絶する。私自身、似たような経験をしたことがあるからこそ分かる。離れることでしか守れないものがある。再出発は、距離を取るからこそ始まれるのだ。

白鵬は、誰よりも努力した。あの記録は、偶然や才能だけでは成し得ない。ただ相撲が神事であるという側面を、どこかで軽んじてしまったのも事実だ。勝ちにこだわるあまり、形式や伝統を後回しにした瞬間があった。だが、それもまた、一つの道を極めようとする者にとっては避けがたい「抜け」なのかもしれない。

人は一部を見て、全体を語ろうとする。だが、強みは時に弱みにもなり、弱みは見方を変えれば強みにも映る。評価とは常に相対であり、絶対ではない。

白鵬翔という存在は、相撲界にとって光でもあり、影でもあった。だが、その両面を併せ持ってこそ、人は深みを持つ。これから彼がどのような道を歩むのかは分からない。だが、一人の相撲ファンとして、その歩みを静かに見守りたいと思う。

新たな舞台で、彼が再び輝くことを願ってやまない。

well being それではまた!!


投稿者: Keiichi Nakadai

誰よりも”濃ゆい”人生を歩んできた ・拓けていく道 ・トレード・オンへの道 ・らしさの道 を発信していきます!!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です