リチウムイオン電池が焼き尽くすもの——分別の限界と仕組みの不在
リチウムイオン電池による発火事故が止まらない。5年間で1,860件。これは単なる統計ではない。現場で火を見た者,,,焼け落ちた施設を前に立ち尽くす者,,,復旧の見通しも立たぬまま日々を過ごす者たち,,,積み重なった現実の数なのだ
事故の原因は単純ではない。安易に捨てる者もいれば、気づかずに混入させてしまう者もいる。おもちゃや家電に埋め込まれた電池は、外から見えない。意図せず混入する。だが、結果は同じだ。火が出る、、、施設が止まる、、、生活が動かなくなる。
茨城の常総環境センターでは、2024年12月の事故以来、操業が止まったまま。復旧には40億円以上が必要とされている、、、これは一つの施設の話ではない。日本の廃棄物処理の仕組みそのものが、リチウムイオン電池という小さな火種に焼かれている
何故無くならないのか、、、
「リテラシーの問題だ」と言って済ませるのは簡単だ。だが、それでは何も変わらない。どう影響を与えるか。どう仕組みを作るか。リサイクラーが発信し、動き、制度を築くしかない。
まずは分別のガイドラインは複雑で分かりにくい 守るべきことが多すぎて、何が本当に危険なのかが埋もれてしまっている。「これだけは絶対にダメ」「これだけは必ず守って」——その二つだけを強調すべきだ。中途半端な基準を並べることで、かえって意識が散る。
メーカーにも責任がある。製品を作る以上、捨てられる未来を想定すべきだ。取扱説明書には、廃棄時のガイドラインを明記する義務が必要だ。使う人間が「どう捨てるか」を知らせなければ、事故は防げない。
そして”捨てる”を「無料」にしてしまっていることも問題だ。費用が発生すれば、人は一旦立ち止まり考えるはずだ。無料だと意識は働かないのだ。分別の精度を上げるには”仕組みの構築”が不可欠だ。
日本の民度を信じるならば、正しい仕組みさえあれば分別はできる。問題は、仕組みがまだ足りていないということ、、、家事をを止めるには仕組みを整えることから始めよう
well being それではまた!!