「整えよう」とするほど整わないときに
交感神経を休めようとして、つい「環境を整えよう」としてしますう、、、
静かな音楽を流し、好みの香りのお香を焚き、照明の明るさまで気にして、いかにも“心身にいい時間”を演出する。
けれども、そうやって場を創り上げようとすると、不思議なことに逆のことが起きる。
音量がほんの少し気になる。香りが強すぎる気がする。部屋のどこかが雑然としているのが目に入る。
何かがひとつでも整っていないと、気になってしまう。
結果としてどうなるか。
「休もう」としているのに、神経はむしろ全開になる。
整えようとする意識そのものが、交感神経を刺激してしまうという皮肉な構造だ。
そんなときは、庭に出るのがいい。
外に出れば、そこにはすでに整えられた世界がある。
人工的に創り込まれたものではない、何も足さなくていい空間だ。
音といえば、風の音や鳥のさえずり。
それらは決して主張してこないし、こちらの状態に干渉してこない。
評価されることも、比較されることもない。
ただ、そこにある。
人がつくる環境は「コントロール」が前提になる。
だが自然は、コントロールしようとする余地がない。
だからこそ、こちらも力を抜ける。
気づけば呼吸が深くなる。
思考の密度が少しずつほどけていく。
ふと、「今日もまた日が巡っている」という当たり前の事実に気づく。
昨日の続きでありながら、確実に新しい一日が始まっている。
それをただ受け取るだけでいい。
何かを足す必要も、整える必要もない。
感じるだけでいい。
この「シンプルに感じられる状態」は、思っている以上に重要だ。
人は複雑にしようとすれば、どこまでも複雑にできてしまう。
だからこそ、ときどき意識的に引き算する。
整えることをやめてみる。
工夫を手放してみる。
その先にあるのは、すでに整っている世界だなのだ
well being それではまた!!