「称賛しかない」と言い切る強さ
ワールドカップの代表メンバーに、我が明治大学出身の長友佑都選手が選ばれた。
このニュースに触れて、やはり目を引いたのは本人のコメントだ。
「選出には賛否両論あるでしょうが、大会終了後には称賛しかないでしょう」
この一言に、すべてが凝縮されていると感じた。
年齢、コンディション、世代交代——外からはいくらでも言える。むしろ、こういう局面では否定も批判も自然に生まれる。それすら織り込み済みで、なお前に出る。
しかもそれを、どこかコミカルに、しかし確実に芯のある言葉で発信してくる。
単なる強気ではない。
結果で覆す覚悟を持った者だけが出せる言葉だ。
そして忘れてはいけないのは、彼は“枠”で選ばれているわけではないということだ。
よくある議論として、「精神的支柱として」「ロッカールームの役割として」など、ピッチ外の価値を理由に語られがちだが、それは違う。
長友佑都は選手として選ばれている。
つまり、グラウンド内での価値を認められた上で、あの舞台に立っているということだ。だからこそ、周囲がどう言おうと、堂々としていてほしい。
——と、一ファンとしては思ってしまう。
もっとも、そんなことは彼自身が一番よく分かっているはずだが。
40歳を目前にして、年齢が半分ほどの選手たちと同じテンションで、同じ強度で、同じ目線で戦う。
言葉にすると簡単だが、これは並大抵のことではない。体力や技術だけの話ではなく、マインド、日々の積み重ね、プロとしての在り方がなければ成立しない。
逆に言えば、それをやれているからこそ、今この場にいる。
「経験がある」だけでは選ばれない。
「若手の見本になる」だけでも足りない。
同じピッチで勝負できること。
それを体現できる存在がいるとすれば、それは長友佑都しかいないとも言える。
今回のコメントは、言葉としての強さ以上に、自分自身への宣言でもあるのだと思う。
批判も含めて受け止める。
その上で、結果で黙らせる。
その覚悟があるから、ああ言い切れる。
こういう姿勢は、スポーツに限った話ではない。
どの世界でも、評価は外からついてくる。
納得されるかどうかは、自分ではコントロールできない。
だが、その先にある成果は、自分でしか作れない。
だからやるしかない。
やり切るしかない。
シンプルだが、それを徹底している人間の言葉はやはり重い。
大会終了後、本当に「称賛しかない」と言われるのか。
正直、それは誰にも分からない。
だが少なくとも、その未来を自分で引き寄せにいっていることは間違いない。
そこに、プロとしての凄みを感じた
well being それではまた!!