今、未熟であることや知らないことを恥じる必要はない。
それは単に「今この時点でそうである」というだけの話だ。
問題はそこではない。
「苦手だから」「タイプじゃないから」「自分は知らなくていいから」
そうやって理由をつけて遠ざけた瞬間、それは一生触れない対象になる。
そしてその時点で、それは相対評価ではなく“絶対的な限界”として確定する。
情報は溢れている。だからこそ意思が問われる
今は情報がいくらでも手に入る時代だ。
だが、その中から何を選び、何に触れるかは完全に自分の意思に委ねられている。
選ばないこともまた、選択だ。
「どうせ自分は変わらない」
そう思った瞬間に、世の中の変化との距離は広がっていく。
外の世界は刻々と変わり続けている。
変わらないと思っているのは、自分の内側だけだ。
固着化した思考が視野を狭める
ガラパゴス化した考え方は、気づかないうちに視点を狭くする。
そして何より損をするのは、自分自身だ。
- 年齢がこうだから
- 役職がこうだから
- ここまで来たから
そうやって区切りをつけることに、意味はない。
それらはただの肩書でしかない。
成長に「到達点」は存在しない。
自分で手を伸ばすという選択
誰かが与えてくれるわけではない。
環境が整うわけでもない。
だからこそ、自分で手を伸ばすしかない。
触れてみる。
知ろうとする。
やってみる。
その小さな差が、時間とともに圧倒的な差になる。
年齢という幻想
昨日、ゴルフで68歳の方に負けた。
身体を使うスポーツですら、56歳は“まだ小僧”だと突きつけられた感覚だった。
だとしたら、それ以外の領域で「もう遅い」などと言う理由はどこにもない。
むしろ――
まだ尻が青い。
その前提に立てるかどうかで、伸び方は決まる。
MEi CONSULとしての視点
企業も個人も同じだ。
- やらない理由を並べる組織
- 自分の領域を決めてしまう人材
ここに成長はない。
必要なのは、未知への耐性ではなく、未知への接触回数だ。
知らないことは問題ではない。
触れないことが、致命的になる。
変わるかどうかではない。
触れるかどうかだ。
その差が、未来を変える。