検査入院の先に見えたもの
先日、検査入院の結果が出た。
結論から言うと、がんは陰性だった。
まずは率直に、ホッとした。
どこかで覚悟のようなものを持っていたつもりでも、「陰性」と言われた瞬間の安堵は隠せない。
やっぱり、人間は本能的に生きたいものなのだと思う。
5年前、私は「死」というものを少し真面目に考えたことがある。
その時に一度、自分の中である種の整理はついている。
死んでしまえば、もはや「無」だ。
悔しいも、悲しいも、うれしいも、そしておいしいも何もない。
よくあるように、どこか遠くで現世を見ていて、「ああすればよかった」と地団駄を踏んでいるわけでもないだろう。
だからこそ、
「それならそれで仕方がない」
という、ある種の割り切りのようなものも自分の中にはある。
とはいえ、今回の結果を受けて改めて感じたのは、
理屈と本能はやはり別物だ、ということだ。
頭では整理できていても、
「陰性」と言われれば嬉しいし、安心する。
まだ終わりではない、と言われた気がする。
つまり私は、
まだまだ生きたいし、やりたいこともあるし、欲もあるということだ。
56歳、、、
体のあちこちに、小さな変化が出てくる年齢だ。
これまでは気にも留めなかった違和感や、
「まあいいか」で済ませていたことが、少しずつ無視できなくなってくる。
でも、それは決してネガティブなことばかりではない。
むしろ、自分の体や状態と向き合うタイミングが来た、ということだと思っている。
大事なのは、それを過小評価せず、
かといって過剰に恐れず、
うまく付き合っていくことだ。
今回、「まだお迎えは先だ」と言われたような気がしている。
もちろん、本当にいつ何が起きるかはわからない。
ただ少なくとも、今すぐではない。
そうであるならば、
これからの時間をどう使うかは、より明確だ。
もっと「らしさ」を突き詰めていきたい。
誰かに合わせるでもなく、
無理に背伸びするでもなく、
自分が納得できるかどうか。
仕事も、発信も、関わる人も、時間の使い方も。
「自分らしいかどうか」という軸で、もう一度問い直していく。
死は、いずれ必ず来る。
でも、だからこそ、今はまだその途中だ。
今回の検査結果は、
「まだ続けていい」というサインだったのだと思う。
ならば遠慮せず、
もう一段、自分を深めていこうと思う。