「やったほうが良かった」はなぜ問題なのか ― 政治家ほど気を付けなければならない言葉の重み

先日、自民党福岡県議団のトップが関係する政治資金パーティについて、災害が発生している状況下で開催されたこと、そしてその後の「やったほうが良かった」という趣旨の発言が報じられ、大きな議論となった。

正直に言うと、報道の切り取られ方もあったのだろうと思う。

おそらく本人が本当に言いたかったのは、

「パーティ自体で多くの方と直接話ができた」 「フェイス・トゥ・フェイスだからこそ聞けた本音があった」 「結果として得るものはあった」

ということであったんだろう

人と人が直接会って話す価値は確かにある、、、

オンラインでは伝わらない空気感もある、、、

だから、その部分だけを切り取れば「開催して良かった」という思いは理解できなくもない。

しかし、それでも「やったほうが良かった」はない。

なぜなら、その価値は別にこのタイミングでなければ得られないものではないからだ。

本音を聞く機会も、交流の場も、別の日に設けることができる。

一方で、災害が起きている最中という状況は、その時しかない。

だからこそ多くの人は違和感を持ったのだと思う。

私はこの件を見ていて、政治家特有の現象も感じた。

政治家は人前で話すことに慣れている。

質問にも即座に答える。

コメントも次々に出てくる。

しかし、その能力は時として諸刃の剣になる。

言葉が出るからこそ、余計な一言も出る。

説明しようとしてさらに言葉を重ねる。

結果として、本来伝えたかったこと以上のものが伝わってしまう。

今回もそうだったのではないだろうか。

そしてもう一つ、、、

これは政治家に限らず、組織の上位者にも共通する話だ。

長く権限を持ち、多くの人に囲まれていると、

「自分は少し特別だ」

という感覚が知らず知らずのうちに生まれることがある。

少し毒のある発言をした方が受ける。

少し踏み込んだ表現の方が注目される。

少し強めに言っても大丈夫。

そんな慢心が生まれていないか。

今回の発言を見ていると、そんな疑問も感じてしまう。

もちろん、報道だけで全てを判断するべきではない。

発言の前後にはもっと文脈があったのかもしれない。

だからこそ問題の本質は、「本当は何を言いたかったのか」だけではない。

「なぜその言葉を選んでしまったのか」だと思う。

リーダーや政治家に求められるのは、話す力だけではない。

話さない力であり、踏みとどまる力であり、相手がどう受け取るかを考える力だ。

今回の件は、報道の切り取り方を嘆く前に、

「自分は少し調子に乗っていなかったか」 「自分だけは大丈夫だと思っていなかったか」

を自省する機会なのかもしれない。

立場が上になればなるほど、言葉の責任は重くなる。

そして本当に問われるのは、失言した後の言い訳ではなく、その失言から何を学ぶかなのだ。

投稿者: Keiichi Nakadai

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