54歳の今,,,自分を想う!!

54歳になった今、人生を振り返りながら

54歳を迎えた今、改めて自分のコンディションについて考えてみた。これまでの人生で積み重ねてきたもの、そして変化していくものを整理することで、現在の自分をより深く理解できる気がする。

まずは気になる点から書き出してみよう。

マイナス面

  1. 多動性が強まっている
     以前よりも落ち着きがなくなり、ちょっとしたことを忘れることが増えた。鍵や財布をどこに置いたか忘れてしまうことが、時々ある。
  2. 名称や名前がすぐに出てこない
     「あれ」「それ」と言葉を濁してしまうことが増えた。知っているはずのことが瞬間的に思い出せないのは少し悔しい。
  3. 膝が弱くなり、走るのが難しくなった
     若い頃と比べて足腰の衰えを感じる。ランニングは厳しくなったが、それでもウオーキングには支障ないことには感謝したい。

こうして振り返ると、確かに変化を感じる部分はある。しかし、ポジティブな面も多い。むしろ、以前よりも充実した時間を過ごせているように思う。

プラス面

  1. 比較をしなくなり、対人関係が円滑に
     若い頃は他人と比べることで自分の価値を測っていた。しかし今は、尊重と共感を大切にし、今の自分を否定せずに向き合えるようになっている。その結果、人付き合いがスムーズになった。
  2. 飲酒量が減り、活動的になった
     お酒を嗜む量と回数が減ったことで、毎日のコンディションが良くなり、活動できる時間が増えた。これまで気づかなかった楽しみが広がりつつある。
  3. 今こそ叶えられるという確信
     これまで「いつか」と思っていたことが、今なら実現できると感じている。年齢を重ねることで得られる落ち着きと経験が、挑戦する力になっている。
  4. まだまだ積み重ねることができる
     好奇心の幅が広がり、新しいことに挑戦する意欲が増している。年齢を重ねるごとに「学び」は減ると思っていたが、むしろ今が一番楽しいかもしれない。
  5. 記憶力は衰えていない
     瞬間的な名前の忘れはあるが、新しい知識に対する吸収力は衰えていない。それどころか、意欲が湧いていることを実感する。
  6. 膝は気になるが、ゴルフは今が絶好調
     走るのは難しくなったが、ゴルフは過去最高の状態にある。楽しめることがあるのは、本当にありがたいことだ。

こうして整理してみると、今のコンディションはむしろ良いと感じる。若い頃は「こうしなければならない」とルールに縛られ、自分にも他人にも寛容になれなかった部分がある。しかし、その結果、見切りをつけてしまい、チャンスを逃していたことも少なくない。

今の自分は、そんな過去を乗り越え、柔軟に物事を受け止められるようになった。そしてこの人生の折り返し地点で、こんなコンディションを保てていることはとても幸運だと思う。

振り返れば、本当に多くの人に恵まれてきた。それぞれの出会いが自分を形作り、歩む道を照らしてくれた。この先は、その恩恵に感謝しながら、少しずつ恩返しをしていこうと思う

さて今日も進みます

well being それではまた!!


混乱期を経て統一期に向かっていく!!

ゴルフを再開してから2年が経過した。3年間のブランクを経て、あの当時の輝きを取り戻すべく、さらにはあの当時以上を目指してレッスンに通い始めて約1年が経つ

あの頃は勢いがあり、怖さを知らずにプレーしていたが、うまくいかなくなると考え始め、プレーに影響が出てしまった。年齢も進んだこともあり、半ばあきらめかけていた。しかし、60代や70代のプレーヤーと一緒に回ると、そうではないことに気づいた。やはり練習量や本番の経験が全く足りていない、、、原因は自分の姿勢にあるのに気が付いたのだ

そこで、週に500球を打つようにして積み重ねてきた。まだ途中ではあるが、飛距離が劇的に改善されるという成果を得た。飛距離が出るということは、しっかりボールにコンタクトできているということ。何よりもまずそれが大事なので、そこができてきているなら距離は合わせることができる あきらめずに進んできて良かったと思う

この経験は、自分が教えているチームビルディングの組織の発達段階とよく似ている。組織が成果を生み出すためには、形成期、混乱期、統一期、機能期という段階を経る必要があるのだが 一度に機能期に到達し、すぐに結果を出せるようにはならないというものである 

お互いのぶつかり合いやもみ合いも必要なプロセスで、、、それを経ることで意志が統一され、組織が機能していける。成果を性急に求めすぎて途中で解体してしまったり、充分にお互いを出し尽くさないで進んでしまうと、パフォーマンスを十分に発揮できない場合があるのだ

ゴルフの上達も同じだ。先生からのインプットをアウトプットしようとすると、今までのやり方に触る必要がある。いや、ほとんど全部を入れ替えなくてはならないのだ その最中でセンスがない、先生が悪いと自責と他責をうまく使ってあきらめてしまう人が何と多いコトか、、、しかし、誰かができたことでもあり、成果を出せた人もいるのだ。だから、自分や誰かが悪いと人にフォーカスしてしまうと進まなくなってしまう。そうではなくてその事実にしっかり向き合って 仕組みやシステムなどの事象にフォーカスしたい。冷静に見れば、うまくいかない理由が厳然と存在する

そう、、、できないのは人のせいではないことに気がつくのだ。

そう思うと、まさに簿記の勉強が混乱期なんだろうと思う。ここを乗り越えれば違う景色が広がっていることが分かっている あきらめず進みたい さてゴルフと同じようにいけるか、、、

well being それではまた!!

自分に集中するだけ!!

自分ができることに全力を尽くす、、、それだけで十分だと思う

結局のところ、人生とは行動を起こすことでしか始まらない そして、自分の行動に対するアプローチは選べても、相手の反応や結果をコントロールすることはできない 良いフィードバックがあれば素直に受け入れればいいし、ヘイトが来れば軽く受け流せばいい だって行動している人だけが、良し悪し問わず反応を得ることができるのだ。そして、進むほどに風当たりは強くなるもの、、、だからヘイトはむしろ、自分が前進している証として捉えればいい

心が動かされることがあっても、日々のやるべきことは変えない方がいい。ペースを乱すことなく淡々と進めることが大切だ

腐って動かなくなるのは、単に勿体ない話だ やるべきことはシンプルに「やり続けること」、、、ここで他人のネガティブな意見に引っ張られるべきではない

もしヘイトに気持ちが引っ掛かるとするなら、それは自分がまだその次元に囚われているのかもしれない。それを乗り越えれば、いちいち気にする必要がなくなるだろう。よく相撲で引き技で敗北した際に「それを食らう方が悪い」と言われることがある。善悪はともかく、本当に超越していれば気にも留めない留まらないはず 

そう考えれば、自分を奮起させる材料として活用できるかもしれない。

そして、そういった姿勢を貫きながら進み続ければ、ふとした瞬間に売上という成果が舞い込んでくるものだ いつでも評価というものは相対的なものであり、結局は見る人によって異なる 同じ行動でも、それを見る人によって良し悪しの捉え方が変わるのだ だからこそ、自分自身はただ前を向いて進むことだけを意識する。

それが、最も自分らしい在り方だから

連休が始まった

自分は交感神経を休ませたい

well being それではまた!!

「ねばならない」がないことの難しさを反転させる!!

「ねばならない」がないことの難しさ,,,

個人事業主としての働き方には自由である。「ねばならない」という外的な圧力が比較的少なく自分で決められるのが特徴だ。もちろん、契約主の機嫌を伺いながら仕事を進めなければならないこともあるし、望んでいない仕事を仕方なく引き受ける場合もある。しかし基本的に、自分がどうしたいのかを主体的に決めやすい立場、、、もちろん責任と引き換えにではあるが、、、それが個人事業主だと思う

自分で意思決定ができるこの環境には確かに魅力はあるが ある程度満足のいく状況に到達すると、日々を何となくやり過ごそうと思えば、それもできてしまうのだ しかしその「何となく」が始まった瞬間から、人は退化を始める。日々変化する日常から取り残され、時間の波に飲み込まれてしまう そして忙しさを言い訳に、本当の自分や物事の本質から目を背けると、その距離はますます広がっていくのだ

だからこそ、「ねばならない」が外にない分、内に自分との約束を大切にするべきだ。「こういうことを描きたい」「こうなりたい」という目標や理想をまず創り上げる。それが誰かの役に立つなら尚更自分自身を奮い立たせるものであれば、それは大きな力となる

そんな目標を支える自分自身の「ねばならない」が欲しい。それは未来へのビジョンを支える自分に課す重要な使命だ。

「自分しか救えない人がいる」と気付けることは、ある意味幸運だ。それは使命感を意味するからだ そして使命感を持てるのは特別なことのような気がする このような使命感を胸に刻み、それを担う覚悟を持ちたいところだ

例えば、勉強を始めるとき、その動機を「ねばならない」として捉えるのは有意義だ。「ねばならない」という枠組みに置けば、それが単なる選択肢ではなく、成長のための必然性となる。こうすることで、描きたい未来に向かって確実に進んでいける

上手に「ねばならない」を使い 自分を創っていきたい、、、

well being それではまた!!

それなりに過ごせたコトこそ本当の豊かさになるのだろう!!

いつでもどこでも幸せを見つけられれば、、、

今日も特にこれといった出来事がなく、平凡な一日だった。まあ、実際そんなもんなんだ 毎日がリア充であったり、特別なことが起こったりするわけではない。考えてみれば、リア充というのは、その瞬間瞬間の積み重ねであり、一日中それが続くなんて現実的ではない気がする でも、そんな日常の中にも、瞬間的な楽しみを見出すことはできると思うのだ

何か特別なことが起こらなければならないという考えはむしろプレッシャーになる 今のありのままの日常の中にも、目を向ければいろんな小さな「幸せ」は転がっている。例えば、心地よい風を感じる瞬間だったり、気温が少しずつ暖かくなってきたなと感じるときだったり、昼ご飯を美味しくいただけたなという実感だったり。これらは誰にでも訪れる、ごく普通の出来事だ。それを「なんでもないこと」として見過ごすのではなく、しっかり事実として感じ取ること。それが「あ~、なんかいいな」「あ~、少しほっとする」といった小さな喜びになる 交感神経が交錯しているのを休めさせれたならそれでいいのだ

過度に期待を持たず、それでいて否定的にもならない。日常の中で「何てことがない」状態こそが、実は大事なんじゃないかと思う。今日もこうして無事に過ごせている、それで十分なのだ。何も特別なことがなくても、何も起こらなくても、そんな一日をしっかりと「生きる」ことで、明日への希望が開けていくんじゃないかな。

どこにいても、どんな状況でも、幸せを想像できる。それができれば、いつでも自分を穏やかに保つことができる気がする。全く「何てことがない」一日でも、その一日を慈しむ心を持てたら、それだけで明日への道が明るくなる。

平凡で、それなりに過ごせる日々の中に、本当の豊かさがあるのかもしれない

well being それではまた!!