止まる勇気が速さをつくる──朝サイクリングで気づいた本質

急ぐな、止まれ。──木こりとペダルと、鈍った刃の話

朝の空気は、嘘をつかない。
うっすらと白む空。路面の細い影。ペダルを踏む足に、微かな違和感がまとわりつく。軽快に転がるはずのタイヤが、どこか粘る。前へ出ない。たったこれだけの抵抗が、体感では坂ひとつ分の重さになる。

空気圧だな、と頭ではわかっていた。
止まって、手を汚し、数分のメンテをすれば済む。安全のためにも、それが正解だ。だが、その朝の自分はこう呟いた。「時間がない。先へ進もう」。
小さな見栄。焦り。謎の合理化。人間はときどき、わざわざ不合理を選ぶ。

ペダルはさらに重くなった。心拍は上がり、呼吸は浅くなる。景色を楽しむはずの朝が、ただの消耗戦に変わる。舗道の継ぎ目一つでリズムが崩れ、ケイデンスはバラバラ。ふくらはぎが張る。路地を抜ける曲がり角で、ヒヤリとする瞬間も増える。安全は、先送りすればするほど遠ざかる。

空気を入れた瞬間、世界が変わる

やっと自宅にたどり着く。空気入れを取り出し、バルブに差し込む。
シュポッ、シュポッ。二十回。三十回。
規定値まで上げる。タイヤは静かに丸みを取り戻す。
もう一度跨る。驚くほどスムーズだ。ペダルは羽根のように軽く回り、路面のざらつきは心地よい振動に変わる。あれほど遠かった直線が、嘘のように近づく。


木こりの教訓とPDCA

この瞬間、頭に甦るのは、研修で話した「木こり」の比喩だ。
森の奥で木を切り続ける男がいる。刃は鈍り、汗は増える。通りがかった者が言う。「刃を研いだらどうだ」。男は答える。「今は切るのに忙しい」。
結果は決まっている。鈍い刃で振り下ろせば振り下ろすほど、仕事は進まない。手は痺れ、心は折れ、最後に残るのは疲労だけだ。

急ぐときほど、止まれ

ビジネスも同じだ。
スピードは気分で作れない。スピードは整備から生まれる。
安全は祈りでは守れない。安全は点検からしか生まれない。
PDCAを回すなら、P(計画)とC(チェック)を軽視してはいけない。準備とチェックを怠れば、D(実行)は苦行になる。
刃を研ぐとは、PとCに時間を投じる勇気のことだ。走りながら刃は研げない。回しながらは、回せない。

今日、何を研ぐ?

ツールか。プロセスか。身体か。関係性か。
研げば、音が変わる。景色が変わる。スピードが変わる。
「やること」は同じでも、「通り」はまったく別物になる。

急ぐときほど、止まれ。
止まると、速くなる。
木こりの森の中で、サドルの上で、会議室のテーブルで。
刃はいつだって、研げる。今、この場で。

well being それではまた!!