無礼な輩と神々しさと、心理的安全性という問い
BtoCのサポートをしていると、時折「個人」という立場を乱用する輩に出くわす 個人事業主という自由な立場は、時にその自由さゆえに、礼節を欠いた態度を引き寄せるのかもしれない。ムッとする。けれど、同時に思う。こういう輩にも出くわすようになるほど仕事の依頼が来ているということなのだと。
予定調和の中だけで仕事をするなら、コンサルタントは要らない。想定外の事象にどう向き合うか、、、そこにこそ、価値がある。だから、無礼な輩すらも、ある意味では「素材」なのだ。面白きことに変えればいい。そう思えるようになったのは、経験の積み重ねか、それとも諦観か。
そして今日は初めて熱田神宮を訪れた。朝の空気の中、静かに歩く、、、神々しさが、空気の粒子にまで染み渡っているようだった。甘辛の食事が身体に馴染み、温暖な空気に包まれながら、ゆるやかに過ごす時間。こういう瞬間があるから、日々のざらつきも受け入れられる。
歩きながら、ふと考える。私にとってリスクとは何か、、、。それは、比較批評の輩との絡みである。彼らの存在が、私の心の揺らぎを生む。けれど、それ以外のことは、これに比べれば遥かに許容できるリスクだ。こまごました不満はある。でも、ある一定の不満がなければ、そもそも依頼は来ない。だから、回りまわって今ここにいる。
そうか、、、今想う”ざらつき”は大したリスクではないのだ ”自分しか自分を救えない”相手だからこそ、面白いのだ。
無礼も、神々しさも、心理的問いも、すべてが素材だ。それを味わえるのはコンサルならではなのだろう
well being それではまた!!