膝の痛みはサボりへの警笛だった|ゴルフと治療の間で考えたこと

膝の痛みは、今の自分への警笛だ

しかし、膝の状態が微妙だ。
歩けないわけではないが、少しびっこを引くくらいにはなっている。週一で続けているゴルフを、この状態で乗り切れるのか。そんな不安が頭をよぎる。

とはいえ、ゴルフをやめればすべて解決する、、、という話でもない。実際、ゴルフをすればカラダが動き、体重も少しずつ落ちていく。体重が減れば膝への負担は減り、痛みも和らぐ可能性は高い。一方で、プレーを重ねれば膝への疲労は確実に蓄積する。良くするために動くが、動くことで悪化の要因も積み上がる。まさに、いたちごっこだ。

ただ、これは仕方のない現実でもある。完全に止まるわけにもいかないし、無理を押して突き進むのも違う。だからこそ、治療と並行して、膝周りのトレーニングをしていく必要があると強く感じている。筋力で支え、可動域を保ち、再発しにくい状態を作る。遠回りに見えるが、結局これが一番確実な道だ。

ふと考える。この痛みは、単なる加齢や故障ではなく、「サボっている今の自分」への警笛なのかもしれない、と。忙しさを言い訳に、体のメンテナンスを後回しにしてきたツケが、形になって現れているだけではないか。

経営も、仕事も、体も同じだ。問題は突然起きるのではなく、見て見ぬふりをしてきた積み重ねの先に、必然として現れる。そう考えると、この膝の痛みも、悪い知らせではない。立て直すタイミングを教えてくれているサインなのだろう。

無理はしない。ただ、問題と向き合う必要がある。
治療し、鍛え、向き合いながら進んでいく、、、

それでいい。今はそう思っている。

well beingそれではまた!!

リソースはすでにある|NLPが教える『夢は叶う前提』という考え方

「リソースは、すでにある」

NLPの用語に「人はすでに、叶えたい未来に向かうためのリソースを持っている」という考え方がある。
新しく何かを付け足さなくてもいい。学び直さなくても、肩書きを変えなくてもいい。
必要なものは、すでに自分の中にある、という前提に立つ。

ただ、多くの人はそれを使わない。
いや、正確に言えば「使えないと思い込んでいる」。

「どうせ自分には無理だろう」
「前に失敗したし」
「成功する人は特別だから」

これらは事実ではない。
自分自身が過去の一部の体験を一般化し、可能性を歪曲し、都合よく未来を決めつけているだけだ。

世の中は、期待値や確率の高いほうに、必ず転ぶわけではない。
むしろ、人生の転機はたいてい「そんな確率低いでしょ」というところから生まれる。

そうそんな風に現実は動いていくのだろう。
それは、自分が自分自身にどう働きかけているか、に寄っていくのだ。

「無理だ」と思い続けてかける言葉と、
「やりながら見えてくる」と思ってかける言葉では、
同じ行動でも、結果の輪郭がまるで変わる。

やる前に、勝ち負けが決まっている勝負はない。
やりながら、徐々に色が出てくる。

最初は薄い色かもしれない。
思った色と違うと感じることもある。
途中で別の色が混ざることもある。

ただ、そこで一喜一憂しなくていい。
色は「今、その瞬間」に出ているだけで、最終形ではないからだ。

サイコロは、最後の目が出るまで振り続けなければ意味がない。
途中で手を止めた人には、結果というもの自体が現れない。

振り返らず、気持ちを切らさず、
淡々と「振り続ける」こと。

そのために必要な力も、実はもう持っている。
決断力、継続力、立て直す力、学ぶ力、そして夢を見る力。

リソースは、すでにある。
夢と希望は、持っていいし、持てる。

あとは、それを「使おうとするかどうか」だけだ。

あると分かったなら、やったほうがいい。
使えると知ったなら、使ったほうがいい。

何かを足す前に、
まず、自分の中に眠っているものに、目を向けてみようか

well beingそれではまた!!

静かにしている、という選択

何か手持無沙汰になると、
「じゃあ晩酌でもするか」
となってしまうのが弱いところ、、、

自分の場合、少なくとも一日おきなのだがその条件をクリアするとすぐそっちに流れてしまう、、、
でもベストコンディションを狙うなら中二日は欲しい
理屈ではわかっている。

ただ、この「中二日」がなかなか曲者だ。
コンディションはいい。
頭も冴えている。
カラダも軽い。

そのぶん、到達するまでの時間を少し持て余してしまう。

この余白から来る欲求のプレッシャーは、想像以上に強い。
うかうかしていると、あっという間に飲み込まれてしまう。
理由は何でもいい。
きっかけは大抵、どうでもいい。

だから最近思っているのは、
「静かにしているのも悪くない」
という感覚を、ちゃんとカラダに覚えさせよう、ということだ。

何かをしていないと不安になる。
発散しなければ、解消しなければ、前に進まなければ。
そういう思考の癖が、無意識に働いている。

でも、課題はいつもある。
それは、こちらが発散しようがしまいが、勝手に消えてはくれない。
むしろ追いかけてくる。

だったら、無理に発散しようとしなくてもいい。
今日に集中する。
それ以上は追わない。
静かにしていればいい。

そんな中で、
食事をじっくり楽しむ。
カラダを使う。
よく噛んで、よく動く。

それで十分なのだと思う。

呑んでしまって、
時間を押しつぶす必要はない。

余白は、埋めなくていい。
静かにしている時間が、次を迎える準備になることもある。

well being それではまた!!

枝垂桜と新たな船出 ― 敷島公園で思ったこと

前橋・敷島公園の枝垂桜が、今年も見事だった、、、
ライトアップはされているものの、よくある「桜まつり」のように出店が並ぶわけでもなく、特別な設えがあるわけでもない。静かに、ただ桜がそこにあるだけだ。

それだけに、ふと不思議に思う。
観光資源が決して多くない地方において、なぜこれをサテライト化しないのだろうかと。枝垂桜という明確なテーマがあり、夜はライトアップまでされている。ほんの少しの仕掛けや導線があるだけで、訪れる人の滞在時間も、記憶への残り方も変わるはずだ。
「何もしない美しさ」を大切にするのも一つの考え方だが、活かしきれていない“余白”を感じるのもまた事実だった。

敷島公園の枝垂桜は、散るのが早い。
老齢の木が多いからなのかもしれないが、その分、桜の特徴がよく出ているように思う。満開の華やかさよりも、はらはらと舞い落ちる時間の短さに、どこか潔さがある。
「今、この瞬間しかない」という桜本来の性質を、強く突きつけられる感覚だ。

歩きながら、入学式のシーズンだな、と自然に思った。
4月がもう目前で、新たな船出の時期がやってくる。我が家でも、娘が大学生活に突入する。そして、すでに社会人として働いているもう一人の娘には、後輩ができるという。
環境が変わり、立場が変わり、求められる役割も変わる。そんな「始まり」が、同時多発的に起こる季節だ。

桜は、毎年変わらず咲く。
けれど、それを見る側の状況は、確実に変わっていく。今年の桜は、親として、仕事をする一人の大人として、「送り出す」という立ち位置で眺める桜だった気がする。

門出の時期に桜があるのは、やはりいい。
華やかすぎず、でも確かに背中を押してくれる。そんな存在として、今年もしっかり桜を楽しみたいと思う

well being それではまた!!

ブログ開設4周年の記録|苦悩から独立、ここまで続けられた理由

4年前の今日に

4年前の今日、このブログサイトを開いた。
そうか、もうそんなに経ったのか、、、

当時は苦悩のまっただ中で、新しい道に進むしかなかった。
選んだというより、選ばざるを得なかった道だったのかもしれない、、、
そこから少しずつ歩みを進め、完全に独立し、試行錯誤を繰り返しながら今に至っている。

振り返れば、課題がない時など一度もなかった。
都度都度、いや常に山積みだ。
それでも、自分を気に入ってくれて、そばに置いてくださる会社さんがいてくれる。
この事実は、どれだけ時間が経っても特別なものだ。

「自分しか救えない」という想いは、ずっと胸に抱いてきた。
それは傲りではなく、自負として、、、
けれど同時に、救っていただいている現実がある。
この状況を無二だと感じている。

だからこそ、お返しは自分のリソースでしたいと思っている。
知恵と時間と、考え抜く力を注ぎ続けること。
それ以外に、いまの自分にできることはない。

改行して、ふと気づく。
もう少しで丸5年になる。

早いような、遅いような。
正直、どちらとも言える。
楽な時期もあったし、かなりしんどい局面もあった。
それでも言えるのは、進んだ道を「自分にとっての正解」にし続けられているということだ。

それは間違いなく、かわいがってくださる顧客がいてくれたから。
感謝しかない。

区切りの日だからといって、何かが変わるわけではない。
明日もまた、淡々と積み上げていくだけだ。
ただ今日は、ここまで来れたことを素直に受け取り、感謝しておこうと思う。

また一年、ちゃんと前に進んでいくぞ

well being それではまた!!