熊本地震で考える支援のカタチ-想いを寄せることも支援のひとつ

想いを寄せることも支援のひとつ

熊本地震の被害状況が少しずつ明らかになっていく。

不足する物資。続く厳しい暑さ。報道に触れるたびに、被災された方々が置かれている状況の厳しさを感じる。

まずは、被災された皆様に心からお見舞いを申し上げたい。そして、現地で対応にあたる行政職員、消防や警察、自衛隊、医療関係者、ボランティアなど、すべての関係者の皆様に敬意を表したいと思う。

災害が起きると、「自分には何ができるだろう」と考える。

もちろん寄付やボランティアは大切な支援だ。しかし、それだけが支援ではないとも思っている。

ニュースを見ること。 新聞を読むこと。 被災地の状況に関心を持つこと。

そんなことも、ひとつの寄り添い方ではないだろうか。

遠く離れた場所にいる私たちは、現地に駆けつけることができない場合も多い。だからこそ、被災地で何が起きているのかを知り、想いを寄せ続けることに意味があると思う。

何もしないのではなく、忘れないこと。

それもまた支援のひとつだ。

私がいる群馬県前橋市は、熊本からおよそ1,000km離れている。

こちらでは普段と変わらない日常が流れている。仕事をし、人と会い、食事をし、日々を過ごしている。

そのことに感謝しなければならない。

一方で、災害が起きるたびに感じるのは、必要以上の自粛ムードで社会全体がおかしくなってしまうことへの違和感だ。

被災地への配慮はもちろん必要だ。

しかし、遠く離れた地域まで元気を失い、経済活動まで止めてしまうことが被災地のためになるわけではない。

派手な投稿や不謹慎と思われる発信には気を付けながらも、こちらはこちらで日常を送り、仕事をし、地域を元気にしていく。

それもまた被災地を支える力になると思う。

被災地は被災地で頑張っている。

だから私たちは私たちの場所でできることを続ける。

そして、ときどきニュースや新聞に目を向ける。

忘れないこと。 関心を持ち続けること。

大きなことはできなくても、せめて想いだけは寄せていたい。

それが今の私にできる、ひとつの支援なのだと思う。

楽しかったから始まる環境教育 子どもたちに伝わる授業の本質

楽しかった、、、そこからしか始まらない

環境教育事業に関わっていると、いつも感じることがある。

人が動くきっかけは、正しさではなく楽しさなのではないかということだ。

ある就業先で展開している環境教育の現場でも、それをつくづく実感している。

環境問題や資源循環、そしてリサイクル。これらは決して新しいテーマではない。むしろ今では、誰もが「やった方がいい」と理解しているし、実践したいと思う人も増えている。リサイクルをすること自体に抵抗感を持つ人は少ない。

しかし、その一方で大きな壁もある。

分かりにくさと難しさだ。

何をどこまで分別すればいいのか。本当にリサイクルされるのか。汚れていても大丈夫なのか。そんな疑問や不安が行動を止めてしまう。

私はこれまで何度か書いてきたが、リサイクルは決して単純ではない。だからこそ、実際を知っているリサイクラーの役割は大きいと思う。

「ここまでは大丈夫」 「これは難しい」 「そこまで神経質にならなくてもいい」

そんな許容の線を分かりやすく伝えることができれば、難しさはずいぶん軽くなる。

特に子どもたちに対してはそうだ。

子どもは理屈だけでは動かない。

もちろん分かりやすさは大切だ。しかし、それ以上に大切なのは最初の体験だと思っている。

授業が楽しかった、、、

まずはそれでいい。

今日の授業は楽しかった、、、

その感覚こそが、次に話を聞こうという気持ちにつながり、やってみようという行動につながっていく。

逆に、どんなに大切なことを伝えようとしても、受け入れる準備ができていなければ届かない。

伝えたいことを伝えるためには、まず受け入れ態勢をつくってもらうこと。

その入口が「楽しかった」なのだと思う。

今日も子どもたちからたくさんの反応をもらった。

環境問題を理解してもらうことも大切だが、その前に「また来てほしい」「また聞きたい」と思ってもらうことの価値を改めて感じた。

楽しかった。

そこからしか始まらない。

そして、その楽しさの先に、未来の行動変容があるのだと思う。

令和8年熊本地震で改めて気づく「当たり前の日常」の尊さ|今日をどう生きるか

当たり前の日常の尊さ

令和8年熊本地震、、、

またしても大きな自然災害が起きてしまった。

報道によれば、イオンモールではガス爆発も発生し、一度避難した後に建物へ戻ったことで被害に巻き込まれた可能性もあるという。もしそれが事実であれば、本当にやり切れない。正しいと思って取った行動であっても、結果として災害は容赦なく襲ってくる。

自然災害は、もはや「どこか遠くの話」ではない。

地震、豪雨、台風、猛暑――。

いつでも、どこでも、誰にでも起こり得る時代になった。

私たちは普段、何気ない日常を生きている。朝起きて、仕事をして、誰かと話し、ご飯を食べて、家に帰る。そんな毎日を、ときに退屈だと感じることもある。

しかし、災害のニュースに触れるたびに思う。

その「当たり前」こそが、実はかけがえのないものなのだと。

いつも通りに家族と会話ができること、、、

いつも通りに仕事ができること、、、

いつも通りに眠れる場所があること、、、

それらは決して当然ではなく、多くの偶然と多くの人々の支えによって成り立っている。

だからこそ、こうした出来事に接すると、自分自身にも問いが投げかけられているような気がする。

「あなたなら今日どう生きる?」

と。

明日が必ず来る保証はない。

だからこそ今日という一日をどう使うのか。

誰に会うのか。

どんな言葉を伝えるのか。

どんな挑戦をするのか。

そんなことを改めて考えさせられる。

そして、意志があれば道が開かれていることの意味の大きさも改めて感じる。

行きたい場所へ行けること、、、

会いたい人に会えること、、、

仕事ができること、、、

夢を語れること、、、

それらは当たり前ではなく、実はとても恵まれた状況なのだ。

今日も35度を超える猛暑の中で、自衛隊、消防、警察の皆さん、関係する官庁の皆さん、医療従事者の方々、そして電気・ガス・水道・通信・物流など社会インフラを支えている方々が懸命に対応している。

被災地のために働く多くの人々がいるからこそ、救われる命がある。

心から敬意と感謝を伝えたい。

そんな中で、自分には何ができるのだろうか。

そう考えた。

大きなことはできないかもしれない。

現地で救助活動を行うことも、インフラを復旧させることもできない。

けれど、、、

災害を忘れないこと

被災地に思いを寄せること

できる支援を考えること

そして、自分自身の防災意識を高めること

それもまた、一つの行動だと思う。

そして私は、こうしてブログを書くことにした。

誰かが今日という日の尊さを考えるきっかけになれば。

誰かが大切な人に連絡を取るきっかけになれば。

誰かが備えを見直すきっかけになれば。

それだけでも意味があると信じたい。

被災された皆さまに心よりお見舞い申し上げるとともに、一日も早い復旧・復興を願っています。

私たちにできることを、一つずつ。今できることから。

「捨てる」を「活かす」――アイスブレーカーのネイチャーダイが示す資源循環の可能性

アウトドアブランド「アイスブレーカー」の日本独自企画「ネイチャーダイ」が、今年も興味深い取り組みを展開している。

ネイチャーダイは、化学染料ではなく自然由来の染料を使ってメリノウール製品を染め上げるシリーズだ。これまでサクラやイチョウ、コーヒー豆殻など様々な素材を活用してきたが、近年はさらに一歩進み、「捨てるを活かす」という考え方を前面に打ち出している。

今回の山梨県北杜市との取り組みでは、日本酒製造で発生する酒粕、ワインの澱、ビール製造で残るホップの葉や茎といった、本来であれば廃棄される素材を染料として活用している。

環境配慮から地域共創へ

サステナブルな製品づくりというと、リサイクル素材の利用やCO₂削減が注目されることが多い。

もちろんそれも重要だが、ネイチャーダイの面白さは単なる環境配慮にとどまらない点にある。

酒粕やワイン澱は、これまで各事業者が処理費用をかけて対応していた副産物でもある。それを価値ある原料として活用することで、新しい商品が生まれる。そしてその背景には、北杜市の豊かな水資源や地元企業のものづくりの文化という地域のストーリーが存在している。

単なる「再利用」ではなく、地域資源を活かした価値創造になっているのである。

廃棄物の価値は見る人次第

リサイクルや資源循環の世界に関わっていると、「これは廃棄物だから処理する」という発想になりがちだ。

しかし実際には、廃棄物と資源の境界線は決して固定されたものではない。

酒粕もワイン澱もホップの残渣も、製造工程では不要になったものだ。しかし見方を変えれば、染料という新しい用途を持つ資源になる。

これは私たちが日頃取り組んでいる資源循環の考え方と同じだ。

古紙もそうだ。金属スクラップもそうだ。排出された時点では不要物でも、次の用途が見つかれば資源になる。

重要なのは、モノそのものではなく「どう使うか」という発想である。

商品ではなくストーリーを買う時代

もう一つ興味深いのは、ネイチャーダイが「ストーリー」を大切にしていることだ。

このTシャツは単に色がきれいだから売れているのではない。

「北杜市の酒蔵から生まれた色」

「ワイナリーの副産物から生まれた色」

「地域の自然と産業が生み出した色」

という背景に共感する人が増えているからだ。

近年、消費者は機能や価格だけで商品を選ばなくなっている。その商品がどこで作られ、どんな人が関わり、どんな価値観を持っているのか。そうしたストーリーに共感して購入するケースが増えている。

ネイチャーダイは、その流れを象徴する取り組みと言えるだろう。

MEi CONSUL視点

今回の記事から感じたのは、資源循環の可能性はまだまだ広がるということだ。

廃棄物を減らそうという発想だけでは限界がある。しかし、廃棄物を地域資源として見直し、新たな価値を生み出そうと考えれば可能性は大きく広がる。

しかも今回の事例は、大規模な設備投資が必要な話ではない。地域にある企業、地域にある副産物、地域にある技術を結びつけることで実現している。

資源循環とは、単にモノを回すことではない。

人をつなぎ、地域をつなぎ、新しい価値を生み出すことでもある。

アイスブレーカーのネイチャーダイは、「廃棄物を減らす」という守りの発想ではなく、「廃棄物から価値を生み出す」という攻めの資源循環の姿を示している。その点にこそ、この取り組みの大きな意義があると感じた。

雑がみ 本当に「禁忌品」はそこまで厳密に分ける必要があるのか

前日の記事を読みながら、現場に関わる者として一つ感じることがある。

それは、紙リサイクルの普及を目指す一方で、「雑がみ」と「禁忌品」の区分が住民にとって非常に分かりにくくなっていることだ。

一般的に家庭から出る紙は、

  • 新聞・雑誌・段ボールなどの古紙
  • 紙箱や封筒、紙袋などの雑がみ
  • レシートなどの感熱紙
  • ラミネート加工紙
  • 洗剤の箱
  • 線香や洗剤など香りの強い商品の箱

といった禁忌品

という分類になる。

しかし実際の家庭で考えてみると、これらを一つひとつ見分けながら分別することは決して容易ではない。

ましてや自治体の回収現場で、禁忌品だけが大量にまとまって排出されるケースはほとんど想定しにくい。

現状では「これは出してはいけない」という情報が先行し、その結果として住民が判断に迷い、

「面倒だから燃えるごみに入れてしまおう」

となることも少なくない。

本来であれば資源化できる雑がみまで一緒に可燃ごみへ流れてしまうのである。

もちろん製紙原料として見れば、感熱紙やラミネート紙はパルプ歩留まりが低く、再生工程で扱いにくいことは理解できる。

しかし近年では製紙技術や選別技術も向上し、一部の禁忌品については他の古紙と混合して使用したり、用途を限定した再生原料として活用したりする事例も増えている。

そうであるならば、従来の「禁忌品だからダメ」という考え方だけではなく、

「においの強いもの以外は許容する」

「多少混入しても回収を優先する」

といった実態に即した運用を検討する時期に来ているのではないだろうか。

資源循環で最も避けるべきなのは、再生利用可能な紙まで含めて可燃ごみとして焼却してしまうことである。

分別基準を厳しくすることで回収量が減るのか、それとも多少の混入を許容してでも回収量を増やすのか。

これからの紙リサイクルには、品質だけでなく回収率とのバランスをどう取るかという視点も求められている。

「これはダメ」という建前によって多くの紙が燃えるごみに回ってしまうのであれば、それは資源循環という本来の目的から見て本末転倒かもしれない。

雑がみ回収を本気で拡大したいのであれば、住民にとって分かりやすく、参加しやすいルールづくりこそが重要になる。その意味でも、「回収できる紙を広げる発想」は今後さらに議論されるべきテーマだと感じる。