勝てばいいではなく、、、どう勝つかの拘りこそが次へ繋がる

横綱の重圧と勝ち方へのこだわり

大相撲名古屋場所を見ていると、新横綱・大の里関がなかなか波に乗り切れていない印象を受ける。

もちろん、最初に言っておきたいのは、大の里関の地力そのものを疑っているわけではないということだ。短期間で大関、そして横綱まで駆け上がった実績は本物であり、その力は誰もが認めるところだろう。

ただ、横綱になった瞬間から景色は大きく変わる。

スポーツの世界は残酷なほど結果が求められる。一日一日勝敗がつき、その評価が積み上がっていく。昨日まで挑戦者だった者が、今日は追われる立場になる。

横綱になると、対戦相手はみな「横綱を倒したい」という気持ちで土俵に上がってくる。優勝を目指す力士もいれば、三賞を狙う力士もいる。中には「一生に一度でいいから横綱を倒したい」という思いでぶつかってくる力士もいる。

いわば全員がワンチャンスを狙っている。

その挑戦を毎日受けて立たなければならないのが横綱の難しさだと思う。

だからこそ、大の里関にはまず自分の力を信じてほしいと思う。

そして今後考えるべきは「勝つこと」だけではなく、「どう勝つか」ではないだろうか。

もちろん勝負の世界だから勝つことは大事だ。しかし、私はどんな形でも勝てばいいとは思わない。

とにかく勝つことだけを目的にするのではなく、どんな相撲で勝つのかという手段にもこだわってほしい。

その意味で私が思い出すのは貴乃花だ。

貴乃花は寄り切りへの強いこだわりを持っていた。相手を正面から受け止め、自分から前に出て、最後は寄り切る。

圧倒的な力で相手を土俵の外へ運ぶ。

その姿勢には横綱としての哲学があったように感じる。

一方ではたき込みや引き技で勝てば、勝敗としては白星になるかもしれない。しかし相手からすれば、

「もう少しで勝てた」

「次はやれるかもしれない」

という気持ちが残る。

それは挑戦者に次への希望を与えてしまう。

しかし真正面から受け止められ、前に出られ、最後は寄り切られてしまったらどうだろう。

相手は

「やっぱり無理か……」

と思うはずだ。

その感覚を相手に植え付けることこそ、真の横綱相撲なのではないかと思う。

勝負は土俵に上がる前から始まっている。

「あの横綱には何をやっても勝てない」

そう思わせる状況を作ることができれば、相手は立ち合いの時点で半歩後ろに下がっている。

大の里関には、その圧倒的な力がある。

だからこそ小手先の勝利ではなく、自分の相撲を貫いてほしい。多少遠回りに見えたとしても、前に出て寄り切る。その積み重ねが横綱としての絶対的な存在感を作っていくのだと思う。

地力は間違いなくある。

あとは自信を持ち、自分の型で相手を凌駕すること。

そんな横綱・大の里の姿を期待している。