都市型洪水のニュースを目にするたびに思うことがある。
災害は、本当に「どこでも、いつでも、誰にでも起こり得る時代」になってしまったのではないか、と。
かつて豪雨災害といえば、台風が接近した時や、山間部の河川が氾濫した時の話だった。しかし今は違う。
日本は亜熱帯地域ではないはずなのに、線状降水帯による猛烈な雨が、ごく短時間に同じ場所へ降り続く。テレビをつければ、見慣れた駅前が川のようになり、車が水に流され、地下空間が浸水する映像が流れている。
そして、それはもはや珍しい出来事ではなくなった。
そんな映像を見ていると、
これが本当に「非常時」なのだろうか、、、
私たちの感覚では、災害は非日常であり、滅多に起きないものだ。しかし実際には、毎年のようにどこかで豪雨災害が発生している。
そう考えると、非常時と日常の境界線は、すでに曖昧になっているのかもしれない。
もちろん、豪雨の最中に車を置いて徒歩で帰宅するという判断も簡単ではない。
雨が激しく降る中、傘を差して何キロも歩くことは現実的ではないし、家族のことも仕事のことも頭をよぎる。
「大丈夫だろう」
「もう少しで家だから」
「あの道ならいつも通っているから」
そんな思いが、どうしても判断を鈍らせる。
しかし一方で、水害のニュースを見るたびに感じるのは、「危険は特別な時だけに現れるものではない」ということだ。
いつ起きてもおかしくない。
だからこそ、安全については先回りして考えておく必要があるのだと思う。
どの道が冠水しやすいのか。
避難するならどこへ向かうのか。
車で移動中に危険を感じたらどうするのか。
スマートフォンの充電は十分か。
普段は面倒に感じることでも、一度でも考えておけば判断は変わる。
災害時に命を守る行動とは、実は災害が起きる前にどれだけ考えていたかで決まるのかもしれない。
私たちは危険をゼロにはできない。
しかし、危険に対する備えを増やすことはできる。
都市型洪水のニュースを見ながら、そんなことを考えた。
「まだ大丈夫」という気持ちよりも、「もし今だったらどうするか」を一度考えてみる。
それだけでも、未来の自分や家族を守ることにつながるのではないだろうか。
災害が日常の延長線上にある時代だからこそ、安全への準備もまた日常の一部にしていきたいと思う。