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「デジタルかアナログか」という不毛な議論

『トイ・ストーリー5』を劇場で鑑賞した。

長く続くシリーズ作品であり、、、さすがディズニー・ピクサーと思わせる完成度だった。純粋なエンターテインメントとして楽しめるだけでも十分に価値がある作品だったと思う。

そして今回、私が特に感じたのは「デジタルとアナログの融合」というテーマだ。

まさに今の時代を映している。

スマートフォン、タブレット、SNS、動画配信サービス、そしてAI。

大人たちは、デジタルに囲まれて育つ子どもたちを見て不安になる。

「こんなに画面ばかり見ていて大丈夫なのか」

「もっと外で遊んだ方がいいのではないか」

そんな気持ちはよく分かる。

しかし、その不安が強すぎるあまり、デジタルそのものを遠ざけようとする考え方には少し違和感がある。

これはAIについても同じだ。

AIは敵ではない、、、

デジタル技術も敵ではない、、、

本来は人間が使うことで豊かになっていく道具である。

もちろん、使い方を誤れば問題は起こる。

どんなに素晴らしいものでも、過度になれば毒になる。

AIが何でも先回りして答えを出してくれることで、自分で考える機会が減るかもしれない。

人との会話や関係づくりも、苦労があるからこそ身につく部分がある。

効率化ばかり追い求めれば、人間としての成長が失われる可能性もあるだろう。

だからといって、AIやデジタルを否定するのは違う。

包丁で料理もできるし、人を傷つけることもできる。

問題は包丁ではなく、使う人だ。

デジタルもアナログも同じである。

結局のところ、それらは手段でしかない。

本当に難しいのは、その適切な付き合い方なのだ。

私は仕事でもAIを活用する。

一方で、人との対話や現場での経験、五感で感じることの大切さもこれまで以上に感じている。

どちらか一方では足りない。

デジタルだけでもダメ、、、

アナログだけでも厳しい、、、

両方を使いこなせて初めて大きな力になる。

そして、その姿を見せるべきなのは大人だと思う。

「スマホばかり見るな」と言いながら自分は一日中スマホを触る。

「AIに頼るな」と言いながら自分は何も学ばない。

それでは説得力がない。

本来、自制が利くはずの大人が範を示すべきなのだ。

必要な時はデジタルを使う。

必要な時は人と向き合う。

便利さを享受しながらも、自分で考えることをやめない。

そんな姿勢こそが、これからの時代に求められるのではないだろうか。

『トイ・ストーリー5』を観ながら、そんなことを考えた。

デジタルかアナログか、、、

その二者択一ではない。

うまく融合できれば最強なのだ。

それを使いこなせるかどうかは、私たち次第なのである。

若隆景関の大けがから考える――「膝が痛い」「手が痛い」を言い訳にしていいのか

痛みを理由にしていいのか

先日、大相撲の若隆景関のケガの記事を目にした。

大関取りが現実味を帯びていた中での大けが。しかも単なる休場ではない。力士生命にも関わりかねない大きな故障を再び負ったという現実だ。

私は相撲の専門家ではない。だが、若隆景関が置かれている立場の厳しさだけは想像できる。

力士は事業主だ。

もちろん会社員ではないし、毎月決まった給料が保証されているわけでもない。ましてや過去の実績が将来を守ってくれる世界でもない。

番付は、その場所その場所の成績で決まる。

昨日までの栄光は、次の場所では何の保証にもならない。

しかも相撲は、身体と身体を真正面からぶつけ合う競技だ。

痛いから休む、、

調子が悪いから後で取り返す、、、

そう簡単にはいかない世界である。

そんな若隆景関の状況を思うと、自分自身のことが恥ずかしくなる。

私は最近、膝が痛い、、、

右手の甲も痛い、、、

物を持つ時に違和感があるし、キーボードを打つ時にも気になる。

だが冷静に考えれば、私の仕事は後から取り戻せる。

今日できなかったことを明日やることもできる。

来週挽回することもできる。

それでも不思議なものだ。

たった右手の甲が痛いだけで気持ちが萎える。

少し体調が悪いだけで行動量が落ちる。

ほんの少しの不調で、自分のパフォーマンスは崩れ始める。

身体の痛み以上に、「やろうとする気持ち」が弱くなってしまうのだ。

しかし若隆景関は違う。

大けがをしても土俵に戻ってくる。

番付を落としても挑戦を続ける。

人生を左右しかねない故障を負っても諦めていない。

その姿を見ていると、私が「手が痛い」「膝が痛い」と言い訳をしている場合ではないと思う。

もちろん無理をする必要はない。

身体を壊してまで頑張ることが美徳だとも思わない。

だが、痛みを理由に気持ちまで止めてしまうことは違う。

できない理由を探すのは簡単だ。

痛いから、、、

疲れているから、、、

年齢だから、、、

けれど、本当に大切なのは、その状態で何ができるかを考えることなのだろう。

若隆景関は諦めていない。

だったら、自分も諦めてどうするのだ

右手の甲が痛くてもできることはある。

膝が痛くても進めることはある。

100点のパフォーマンスは出せなくても、70点や80点なら出せるかもしれない。

そして、その積み重ねが次につながる。

若隆景関の挑戦と自分を比べることなど本来おこがましい。

それでも、厳しい世界で前を向く姿から学べることはある。

今日の私は、たった少しの痛みで立ち止まりそうになっていた。

だが、若隆景関はもっと大きな痛みの中で前を向いている。

そう考えると、まだまだやれる。

いや、やらなければならない。

言い訳を並べる前に、一歩だけでも前へ進もうと思う。