熊本地震で感じた胸の痛み。遠くてもできる支援とボランティアの第一歩

「遠いから」を超えて繋がる気持ち

今回の熊本地震、、、

今までも東日本大震災や熊本地震、能登半島地震など、大規模な災害が起こるたびに心を痛めてきた。もちろん他人事ではないと感じていたし、被災された方々のことを想い、自分なりにできる範囲で寄付をしたこともある。

それでも今回、なぜか今まで以上に胸が苦しくなった。

テレビやネットで伝えられる被災地の様子を見ながら、「自分にできることは何だろう」と真剣に考えている自分がいた。

恥ずかしながら、これまでボランティア活動をした経験はない。

被災地へ行って汗を流す人たちを敬意を表しながらも、「遠いから」という言葉をどこか言い訳にしてきた気がする。

今回の熊本も、やはり遠い。

仕事や家庭の都合を考えると、すぐに現地へ駆けつけることは簡単ではない。

しかし、そこでふと思った。

本当にできることはないのだろうか、、、

熊本まで行けないなら、地元でできるボランティアはないのだろうか。

地域の清掃活動でも、高齢者支援でも、子ども食堂の手伝いでもいい。まずは身近な場所で誰かの役に立つ行動を始めることが、結果として社会との繋がりを生み、その延長線上に被災地との繋がりも生まれていくのではないか。

そんなことを考えている。

遠く離れた熊本のために何かをしたい。

その気持ちを一過性の感情で終わらせず、自分自身の行動に変えていきたい。

今日は長岡花火の日だった。

テレビ越しではあったが、その美しい花火を眺めながら、改めて長岡空襲や中越地震からの慰霊や復興の歴史に思いを馳せた。

大きな苦しみや悲しみを経験した地域だからこそ生まれたメッセージがある。

「一人にはしない」

「一人ではない」

花火の光だけではない。その言葉の力にも大きな刺激をもらった。

災害はいつ、どこで起きるかわからない。

今日支援を必要としている人は熊本かもしれないが、明日は自分の住む地域かもしれないし、自分自身かもしれない。

だからこそ、人と人との繋がりを大切にしたい。

遠いからできないではなく、今いる場所でできることから始める。

そんな小さな一歩が、巡り巡って誰かを支え、自分も支えられる社会に繋がっていくのだと思う。

まずは身近なところから。

そして、その想いを熊本へと繋げていきたい。

熊本地震で考える支援のカタチ-想いを寄せることも支援のひとつ

想いを寄せることも支援のひとつ

熊本地震の被害状況が少しずつ明らかになっていく。

不足する物資。続く厳しい暑さ。報道に触れるたびに、被災された方々が置かれている状況の厳しさを感じる。

まずは、被災された皆様に心からお見舞いを申し上げたい。そして、現地で対応にあたる行政職員、消防や警察、自衛隊、医療関係者、ボランティアなど、すべての関係者の皆様に敬意を表したいと思う。

災害が起きると、「自分には何ができるだろう」と考える。

もちろん寄付やボランティアは大切な支援だ。しかし、それだけが支援ではないとも思っている。

ニュースを見ること。 新聞を読むこと。 被災地の状況に関心を持つこと。

そんなことも、ひとつの寄り添い方ではないだろうか。

遠く離れた場所にいる私たちは、現地に駆けつけることができない場合も多い。だからこそ、被災地で何が起きているのかを知り、想いを寄せ続けることに意味があると思う。

何もしないのではなく、忘れないこと。

それもまた支援のひとつだ。

私がいる群馬県前橋市は、熊本からおよそ1,000km離れている。

こちらでは普段と変わらない日常が流れている。仕事をし、人と会い、食事をし、日々を過ごしている。

そのことに感謝しなければならない。

一方で、災害が起きるたびに感じるのは、必要以上の自粛ムードで社会全体がおかしくなってしまうことへの違和感だ。

被災地への配慮はもちろん必要だ。

しかし、遠く離れた地域まで元気を失い、経済活動まで止めてしまうことが被災地のためになるわけではない。

派手な投稿や不謹慎と思われる発信には気を付けながらも、こちらはこちらで日常を送り、仕事をし、地域を元気にしていく。

それもまた被災地を支える力になると思う。

被災地は被災地で頑張っている。

だから私たちは私たちの場所でできることを続ける。

そして、ときどきニュースや新聞に目を向ける。

忘れないこと。 関心を持ち続けること。

大きなことはできなくても、せめて想いだけは寄せていたい。

それが今の私にできる、ひとつの支援なのだと思う。