”著名人のゴシップに想うこと”
タレントやスポーツ選手の醜聞が闊歩している,,,少し前のように常識を求めず むしろそれすらもかっこ良さの一部であり だからこそあれが出来ると羨望のように捉えていた時代は過ぎ去った
もはやどの立場でも いや 多くの影響を与える人であるほど”全ての常識”を求められる そこの建付けが全く変わっている訳で,,,それが全方向で成り立っている芸やプレーであって始めてスゲーになる
いわば常識+超越=賞賛,,,で
常識-超越≠賞賛ではないってこと
しかし人間だから”自分だけは特別と思ってしまう100非難も出来ない それが人間でもあるから
ただ我々が分かっていなくてはならないのは芸やプレーが凄い=凄い人間ではない そして昔面倒見てもらったから,,,情がある,,,擁護したくなる,,,でも今はコンプラ違反は擁護出来ないのだ
なのでそれはそれ これはこれで判断しなくてはならない そうその事実に対してのみの判断である
もちろん再生は可能で,,,調子に乗って失敗しても人間らしさとして寛容である社会にはなりたい 一度やったらお終いはあり得ない リバイバルした人には”倍の賞賛”をしてあげられる社会になりたい まずは自分だけでもそういう人間でありたい
well beingそれではまた!!