当たり前が止まる日、、、
原因ははっきりしない。
今週に入ってから、右手の甲の腫れが引かず、突然痛みを抱えることになった。利き手の右手だけに、想像以上に不便だ。
蛇口をひね、ペットボトルのキャップを開ける、車を運転する、箸を持って食事をする、パソコンのマウスを動かす、
普段なら意識もしないような動作の一つひとつが、痛みとともに立ちはだかる。
先週まで当たり前にできていたことが、いきなりできなくなる。たったそれだけで、日常の風景は大きく変わる。
私たちは、ともすると今の生活に不満を並べる。
もっと刺激が欲しい。
もっとお金が欲しい。
もっと評価されたい。
もっと面白い毎日を送りたい。
なんでもない日常を、もっとエキセントリックなものにしたいと思う。そして、当たり前の今に対して不満を述べる。
しかし、今回の右手の痛みは、そんな自分に静かに問いかけてきた。
蛇口をひねれること。 車を運転できること。 痛みなく食事ができること。 朝起きて普通に仕事ができること。
それらは決して退屈な日常ではない。むしろ、とても恵まれた毎日だったのだと。
健康は、失って初めてその価値に気づくと言われる。まさにその通りだと思う。
当たり前は、当たり前ではない。
それは誰もが知っている言葉だが、本当に実感できるのは、何かを失ったときなのかもしれない。
もちろん、右手の腫れの原因はまだわからない。早く治ってほしいという気持ちはある。しかし一方で、この不便さのおかげで気づかされたこともある。
今日、痛みなく手を動かせる人は、それだけで十分に幸せなのだ。
いつもと同じ朝を迎えられること。 いつもと同じ仕事ができること。 いつもと同じ食事を楽しめること。
そんな何気ない一日こそが、本当は奇跡に近い価値を持っている。
右手の腫れが教えてくれたのは、健康のありがたさだけではない。
「何も起こらない普通の日」が、実は人生で最も贅沢な時間なのだということだった。
先週までの当たり前に、今は心から感謝したいと思う。