人間は生かされている。でも、使命を果たさなければならないのか
「人間は生かされている」
「この世に生を受けたからには果たすべき使命がある」
「ありたい自分に向かって成長し続けなければならない」
そんな言葉を耳にすることがある。そして、その考え方によって人生が前向きになり、豊かに生きられるのであれば、とても素晴らしいことだと思う。
使命感を持つことは強いエネルギーになる。
自分は何のために生まれてきたのか、、、
世の中にどんな価値を残せるのか、、、
そうした問いを大切にしながら努力を重ねることで、多くの人が成長し、成果を生み出してきた。
しかし、一方で私はこうも思う。
本当に人間は「使命を果たさなければならない」のだろうか?
本当に「成長し続けなければ価値がない」のだろうか?
私は必ずしもそうではないと思う。
人間は理由があって生きているのではない。
まず先に存在している。
そして、その存在そのものに意味がある。
何か大きな成果を残したから価値があるのではない。
誰かより優秀だから価値があるのでもない。
今ここに生きている。
ただそれだけで価値がある。
これは決して怠惰を勧める話ではない。
主体的に生きようとすれば、自分なりの使命や目標を考えることは大切だろう。
「私は何をしたいのか」
「どんな人生を歩みたいのか」
そうした問いを持つことによって、人は前へ進む力を得られる。
だから主体的な視点では、使命という考え方は意味がある。
しかし、相対的な視点で見れば少し違う。
使命を見つけられていない人もいる、、、
病気や障害と向き合っている人もいる、、、
家庭を支えている人もいる、、、
誰かを陰で支えている人もいる、、、
社会の中には、いわゆる第一線で活躍している人ばかりではない。
むしろ、多くの人は表舞台よりも裏方として社会を支えている。
そして、そのどちらが上でも下でもない。
トップランナーが価値ある存在なら、その人を支える家族も価値ある存在だ。
経営者に価値があるなら、現場で汗を流す従業員にも価値がある。
元気に働いている人に価値があるなら、今は療養している人にも価値がある。
社会的弱者と呼ばれる人たちも含めて、すべての存在に意味がある。
なぜなら、人間の価値は成果によって決まるものではないからだ。
存在しているだけでいい、、、
存在しているだけで意味がある、、、
私はこの考え方をとても重要だと感じている。
使命を持つことも素晴らしい、、、
成長を目指すことも素晴らしい、、、
しかし、それができない時期があってもいい。
使命が見つからなくてもいい、、、
休んでいてもいい、、、
なぜなら、私たちはまず「存在そのものが肯定されるべき存在」だからだ。
その土台があるからこそ、人は安心して挑戦できる。
安心して成長できる。
そして結果として、自分らしい使命に出会うこともある。
人間は生かされている。
だから何かにならなければならないのではない。
まずは、生きていることそのものに意味がある。
そのうえで、自分らしい生き方を選べばいい。
私はそれが、人間という存在への最も温かいまなざしではないかと思う。