頑張りすぎると自分を傷つける|赦して歩み続けるという選択

そうなのだ。
そこをギリギリまで追い込んでしまうと、結果的に一番傷つくのは自分だったりする。

「もう少しできたはずだ」
「本当は、こうあるべきだった」

その声に引きずられて、今日という一日全部を否定してしまう必要はない。

今日は、今日やるべきことをやった。
それで十分だ。
あとは赦してしまえばいい。

不思議なもので、そうして肩の力を抜いていると、
いつの間にか賽の目が変わっていくことがある。

狙って変えようとしても動かなかった流れが、
構えを解いた瞬間に、少しだけ向きを変える。

自分で、自分で何とかしなければ。
そう力まなくてもいい。

流れには、任せられる部分もある。

明日も、明後日も、人生は続いていく。
一度や二度、思い通りにいかなかったからといって、物語が終わるわけではない。

だから大切なのは、
正解を出し続けることでも、
完璧であることでもない。

歩みを止めないことだ。

遅くてもいい。
遠回りでもいい。
時には立ち止まってもいい。

それでも、また一歩出せばいい。

「こうあるべき」に縛られず、
「こうありたい」を忘れず、
今日を生ききって、赦して眠る。

それを繰り返しているうちに、
気がつけば、ちゃんと前に進んでいる。

人生は、そういうものなのだと思う

well being それではまた!!

『こうあるべき』に疲れたら読む話|年齢とともに硬くなる自分を軽やかにする考え方

「こうありたい」と「こうでなくては」のあいだで

「こうありたいな」と思える感覚は好きだ。
それは自分らしさに触れている感じがするし、背伸びはしていても、芯はぶれていない感覚だ

でもいつの間にか、それが
「こうでなくてはならない」
にすり変わってしまうことがある。

この違いは小さいようで、実は大きなモノになっているのだ。

「こうありたい」は広がる。
「こうでなくては」は、途端に自分を狭くしちゃうのだ

現実は、だいたいうまくいかない。
思っていた通りにならないことの方が多いし、ましてや他者との関わりの中では猶更うまくいかない

相手がいる。
相手にも事情がある。
感情も、価値観も、タイミングも揃わない、、、

それなのに、
「こうあるべきだ」
を手放さずにいると、ただただ疲れてくる。

現実と理想のズレを、全部自分で受け止めようとするからだ。

「それは、そうなんかぁ」

どうとも解釈していない、、、本当は、それくらいでいいはずなのに。

納得でも諦めでもなく、
一旦、そう受け取ってみる。

「まあ、そういうこともあるよな」
「今はそういう流れなんだろう」

その一言で、呼吸が戻ることがある。


ただ厄介なのは、年齢を重ねるほど、この寛容さが薄くなりやすいことだ。

経験が増える。
成功も失敗も積み重なる。
自分なりの「正解」ができあがる。

すると、無意識のうちに
「自分はこうしてきた」
「だから、こうあるべきだ」
という軸が強くなる。

それ自体は悪くない。
むしろ、積み上げてきた証でもある。

でも、その軸が硬くなりすぎると、自分の動きまで鈍くしてしまう。

だからこそ、ここは意識して軽やかにしたい。

勘違いしやすいのは、
これが「妥協」や「自分を下げること」だと思ってしまう点だ。

違うのだ、、、

無理をして飲み込むことでも、我慢し続けることでもない。

「こうでなくては」を緩めることは、負けることではない。

むしろ、そこには第三の境地が開く。

白か黒か。
正しいか間違っているか。
やるべきか、やるべきでないか。

その二択から一歩外れたところに、新しい選択肢が生まれる。

それは、我慢の延長ではない。
自分をすり減らす選択でもない。

「今の自分なら、こうもアリだな」
という、新しい選び直しだ。

「こうありたい」を持ちながら、
「こうでなくては」に縛られない。

それは、自分を甘やかすことでも、諦めることでもない。

変化し続ける自分を信頼する、ということだと思う。

年齢を重ねるからこそ、
頑なになるのではなく、
しなやかになる。

それは、下がることではない。
次のフェーズに進むための、選択だ。

我慢ではない、新しい選択なのだ

well being それではまた!!


個人事業主が疲れる原因は交感神経?効率化しても楽にならない理由

個人事業主をやっていると、
「今やっておけば、あとが楽になる」
「今日のうちに明日の分まで進めておこう」
そんな思考に、知らず知らず引っ張られる。

実際、それは間違っていない。
前倒しで進めることが成果につながる場面は、確かにあるが,,,

ただ、今の環境を冷静に見てみると、
数年前とは明らかに状況が違っている。

業務はマルイチデバイス化し、
AIも当たり前のように使えるようになった。
資料作成、情報整理、文章化――
どれをとっても、以前より圧倒的に効率は上がっている。

「本来なら、もっと楽になっているはず」
そう感じている人も多いんじゃないだろうか。

それなのに、
業務が軽くなった感覚が、あまりない。

これは不思議でも何でもなくて、
理由はとてもシンプルだ。

明日のことを今日やったとしても、
明日になれば、明日の案件がちゃんと生まれてくる

人と関わり、社会と接点を持っている限り、
タスクは自然発生的に増えていく。
だから、無理に「明日」を先取りしても、
世界そのものは何も変わらない。

それなら――
ビンビンに張りつめた交感神経を、
一度ちゃんと休ませたほうがいい。

内省に向かう業務、
たとえば振り返りや構想、思考の整理なら、
まだエネルギーの消耗は少ない。

でも、相手ありきの業務は違う。

メール、チャット、打ち合わせ、SNS。
どうしても「反応」が過剰になる。
即レス、即判断、即対応。
気づけば、こちらの神経も同じ強度で反応してしまう。

結果、
反応した自分自身が、いちばん疲れている。

だから思う。

今日のことは、今日でいい。
明日になって生まれたことは、明日考えればいい。

それは怠けでも逃げでもなく、
自然の摂理に従う、という選択だ。

交感神経を休めることは、
生産性を下げる行為じゃない。
むしろ、長く進み続けるための「技術」だと思っている。

個人事業主だからこそ、
アクセルを踏む技術だけじゃなく、
意識的に緩める技術も持っていたい。

進むために、立ち止まる。
それくらいで、ちょうどいいのだろう

well being それではまた!!

結局、悩みは対人関係につきる|人間関係に疲れたときの考え方

結局、そこににつきるのかもしれない

振り返ってみると、
仕事でも、地域活動でも、日々の暮らしでも。
我々の悩みのほとんどは、対人関係に行き着く、、、

相手がどう判断するのか。
どう動くのか。
それは、結局その人に委ねられているにも関わらずのにだ
こちらがどれだけ考えても、願っても、影響できない部分は確実にあるのに、、、

それなのに、
「なぜそうなるんだ」
「どうして分かってくれないんだ」
と、地団駄を踏んでしまう。

もちろん、自分自身も省みる必要はある。
まずは付き合いやすい人間であったほうがいい。
感情の起伏が激しすぎると、周囲は安心できない。

そして、意外と大事なのが「約束」だ。
大きな約束というより、、、
日々の細かな約束を違えないこと。
時間、言葉、反応、態度。
小さな積み重ねが、信頼をつくる。

だからまずは、
こちら側が「ハートの内側」を持って、
相手を尊重し、共感をもって接する。

これは相手のためだけではない。
そうしたほうが、自分の心が穏やかでいられるからだ。

誤解してはいけないのは、
それは迎合ではないということ。
自分をすり減らしてまで合わせる話ではない。
あくまで、自分のためにやるのだ。

それでも、どうしても難しい相手はいる。
合わない人は、いる。
それを「どうにかしよう」とする必要はない。
「そういうものだ」と受け取ればいい。

そもそも、
全員と付き合うこと自体が物理的に無理なのだから。

ならば、
こちら側もきちんと設えたうえで、
付き合う範囲を定めればいい。
距離を置くことは、逃げではない。
選択だ。

相手を尊重しつつ、
自分も守る。

そのバランスを探し続けることが、
大人になるということなのかもしれない。

well being それではまた!!

批判が届くのは、仕事が前に進んでいる証拠だという話

フィードバックがあるということ

仕事をやっていると、本当にイロイロなフィードバックが届く。
「なるほど」と膝を打つものもあれば、「それは違うかもしれない」と考えさせられるものもある。

そして中には、
なんじゃそれは……
と、思わず激高しそうになるものも混ざってくる。

でも、これはどうやっていても避けられない。
むしろ、やっているからこそ出てくるものだ。

何もしていなければ、批判も、違和感も、感情を揺さぶるような言葉も届かない。
無機質で、静かで、波の立たない毎日になる。

でもそれって、本当にいい状態だろうか。

やれている証拠がそこにある

ネガティブに感じるフィードバックも、見方を変えれば一つのサインだ。
「何かをやっている」
「動いている」
「誰かの視野に入っている」

そういう状態に、今の自分がいるという証明でもある。

やれているほど、余計なことを言う人も現れる。
これはもう、ある意味でセットだ。

だったら、前向きに解釈してしまえばいい。
今、自分はちゃんとやれている。
少なくとも、止まってはいない。

それを確認できているだけでも、十分に意味がある。

だから夜のビールは美味い

一日を振り返って、
嬉しいことも、ムカっとすることも、どちらもあった日。

そんな日の夜に飲むビールは、やっぱり美味い。

感情が動いた分だけ、喉越しがはっきりする。
「今日も一日、使い切ったな」
そう思えるからだ。

何も起きなかった一日と、どちらがいいか。
答えは、もう自分の中で決まっている。

上がったり下がったりしない

だからといって、
一度一度、感情に合わせて上がったり下がったりする必要はない。

一喜一憂して、自分のペースを崩すのが一番よくない。
「それでじゃあいいや」と投げてしまうのも違う。

見るべきものは、目の前の一段。
今日、積み上げられることだけだ。

まずは、今日も積み上げる

結局、今できることはこれしかない。

今日も積み上げる。
淡々と、でも確実に。

評価は後からついてくる。
フィードバックも後からついてくる。

それでも、自分の足で前に進む。
それができている今を、まずは認めていい。

さて、今日の分を積み上げよう。
夜のビールを美味くするために

well being それではまた!!