いつからでもやり直せる、の“その先”にあるもの
数日前に「いつからでもやり直せる」と書いたとき、少し引っかかる感覚があった。
やり直す——その言葉の響きには、どこか“失敗した”という前提が入り込んでくる。
でも本当にそうだろうか、と改めて思う。
あれは確かに苦い経験だった。胸の奥にザラつきを残すような、あの種類の苦さ。
ただ、その苦さは“失敗”と呼ぶには少し違う気もする。むしろ、あの苦さを早く知れて良かったのでは,,,と今では思っている。
なぜなら、その苦さがあったからこそ気づけたことがあるし、あの経験がなければ持てなかった優しさもある。
もし何も知らずに通り過ぎてしまっていたら、きっと今の自分ほどの厚みには辿りつけなかった。
どん底に立たされたとき、人は自然と前へ進む。
「もうここから上がるしかない」と腹が据わった瞬間、身体は勝手に動きはじめる。
あのパワーは、平坦な道では絶対に生まれない。
だから、落とされたことも悪い話ではなかったのかもしれない。
いや、むしろ“落としてもらって良かった”と言えるのかもしれない。
そこでもがいた時間が、自分の未来を照らす光になる。
苦かったあの日が、これからの自分を支える厚みになっていく。
いつからでもやり直せる。
でも、やり直す理由は“失敗したから”じゃない。
ただ、自分がもっとよくなる道を選び直しただけだ。
well being それではまた!!