晩秋の外出を快適にする機能ウェア、選び方のコツ

速足で駆けてきた寒さ、晩秋の勢い

急に寒くなったなって思ったら、もう晩秋。こうなると服選びが難しい。厚手のコートはまだ早いし、薄手だと心もとない。だからこの時期は、軽くて薄くて、脱ぎ着がラクな機能ウェアが欲しくなる。

持ち運びも考えると、かさばらないのは正義。バッグにサッと入れられる軽さ、これだけで外出のストレスが減る。

選ぶときはタグをチェック

どれがいいか迷ったら、タグを見るのが一番わかりやすい。防風、撥水、透湿、ストレッチ…こういう機能が並んでると比較しやすい。

その点、ワークマンは優秀。表示が統一されていて、スペックの見比べが簡単。一方でアウトドア専門ショップのブランド品は、表示がバラバラで比較しづらい。もちろん品質は高いし、価格もそれなり。でも「比較しにくい」ってだけで、手が止まるんだよな。

安物買いの銭失いは避けたい

とはいえ、安さだけで選んで失敗するのはイヤ。機能ウェアは、快適さと耐久性が大事。晩秋から冬にかけて、しっかり使える一着を選びたい。

結論、、、タグで機能を確認して、価格と性能のバランスを見極めること。ワークマンみたいに比較しやすいブランドは、選ぶ楽しさもある。寒さに負けないために、賢く機能ウェアを調達してココロを軽くしていこう

well benig それではまた!!

止まらないモノだけが見える情景がある

「今日の風に乗る」——前提が崩れる世界で、個人事業主が立つ場所

個人事業主として生きるということは、毎日が「前提の崩壊」との戦いだ。
昨日まで通用していた経験が、今日には新しいモノを足さなくてはならない
「こうすればうまくいく」という型が、翌朝には100丸写しでは通用しなくなる。
そんな日々を繰り返していると、計画を立てることすら億劫になる。
なぜなら、立てた瞬間に崩れる可能性があるからだ。

でも、それでも前に進まなければならない。
なぜなら、止まった瞬間に、もっと後退するからだ
個人事業主にとって「止まる」は「戻る」とほぼ同義だ。
誰も守ってくれない。誰も保証してくれない。
だからこそ、今日もまた、崩れる前提の上に立ち、次の一手を打つ。

ストレスは、喜びの種になる

前提が崩れることは、ストレスだ。
「こうなるはずだったのに」「なんでこんなことに」
そんな思いが積もると、ココロもカラダも重くなる。
でも、そのストレスの中にこそ、突破口がある。

顧客の要望が変わる。市場が揺れる。
そのたびに、自分のやり方を見直す。
その繰り返しの中で、気づけば自分の引き出しが増えている。
「こんなこともできるようになった」
「こんな視点が持てるようになった」
それはこのストレスを乗り越えた者だけが得られる報酬だ。

そして、その変化は、顧客にも伝わる。
「この人は、いつも新しい」
「この人に頼めば、何かが起きる」
そう思ってもらえることが、最大の信頼につながる。

今日の24時間は、二度と戻らない

「今日は休もうかな」
そんな気持ちになる日もある。
でも、ふと思う。
今日という日は、もう二度と戻ってこない。
この24時間は、唯一無二の時間だ。

もちろん、休むことは悪いことじゃない。
ただ、「全休」はもったいない。
なぜなら、休むことは、あちらの世界に行けばいくらでもできる。
この世で動ける時間は、限られている。
だったら、1時間でも、30分でも、何かを生み出す時間にしたい。

「今日は今日の風が吹いている」
その風は、今日しか吹かない。
明日にはもう、別の風が吹いている。
だからこそ、今日の風に乗る価値がある。

カラダが変わっていないなら、まだイケる

「疲れたな」「もう無理かも」
そう思う日もある。
でも、カラダは変わっていない。
昨日と同じように動く。
なら、まだイケる。
気持ちが沈んでいるだけなら、風に乗ればいい。
風に乗れば、自然と前に進める。

自分を信じること。
そして、今日という日に敬意を払うこと。

風は、待ってくれない。
でも、風は、いつも吹いている。
その風に、今日もまた、乗っていこう。

well being それではまた‼︎

慣れないサポートに必要なのは「効率」ではなく「入り浸り」

慣れないサポートって、やっぱりある訳で、、、新しい領域や初めての依頼に触れるとき、どうしても「効率的に進めよう」という発想が出てしまう。それは全く逆で、、、そこに正解はないと感じている。むしろ、ずぶっと入り浸ることで全身で慣れることが必要なんだと思っている

まず、”慣れてない”を取り除けるようにしないと、プロセスが一つ増えて、、、その先の思考に影響が出るからだ。慣れないまま進めると、考えるときに言い訳が邪魔をする。「慣れてないから仕方ない」という逃げ道があると、質が落ちる。依頼をいただいている以上、待ってもらえる時間は限られている。だからこそ、全身で、、、頭までで、、、入り浸るしかない。

入り浸るというのは、単に時間をかけることではない。相手の背景、目的、期待値を深く理解し、自分の中で「慣れない」を消すことだ。それにより、心理的安全性も敷けてくる。こちらが入り込むことで、相手も安心する。結果として、スピードも質も上がる。

効率を求めるのは悪いことではないがここはショートカットではないと思う 

慣れない領域では「効率」より「没入」が先だ。慣れないことを慣れに変えるために、まずは深く入り込む。それが、依頼に応えるための最短ルートだと思っている

よし明日も、、、

well being それではまた!!

AIは頼れるが、万能ではない──業務で使ってみての実感

最近、業務の中でAIを使う場面が増えてきた。スライドの修正やコメントのブラッシュアップ、ゼロから一段階引き上げる作業、あるいは今あるものをもう少し良くする場面では、確かに重宝する。そこに費やすカロリーは確実に抑えられるからだ。

ただ、全部をAIに任せるわけにはいかない。完全なプロンプトを出すことは難しいのもありニュアンスをくみ取るのが得意ではないのがAIだ さらに、収集するデータにはフェイクや誤認識が混ざることもある。結局、検証や加筆は自分の役割になってくる

今のところ、AIは「良きパートナー」ではあるが「自分」にはなり得ないし、最高のアウトプットを出してくれるわけでもない。それでも、心強い存在であることは間違いない。

触らず嫌いでは問題外で、、、だからといって頼り切るのではなく、切磋琢磨しながら使いこなしていく、、、そうすれば、業務の質もスピードも確実に上がる。

あなたは、AIをどこまで任せている?
「便利だから全部任せる」派か、「最後は自分で仕上げる」派か。
そして、AIとどう付き合っていくのがベストだと思うか?

AIは敵ではなくベッタリもまた違う 共に成長するパートナーだと私は思う

well being それではまた!!

美しき痺れる直向きさにココロからの拍手を私はしたい!!

明治 vs 慶応ラグビー決戦──学生たちのひたむきさを守るために

学生たちが全力でぶつかり合ったあの試合、、、仲間とともに積み重ねてきた努力をすべて出し切る舞台だ。その姿は、勝敗以上に人の努力の美しさを示していた。

試合後、感想をブログやSNSに投稿したところ、多くの反響が寄せられた。賛同もあれば批判もある。それ自体は健全なことだ。改めていう「それを書いて何になる」ということだ

メディアだから問題提起はあってもいい ただそこにはあくまでも尊重と共感がベースであってしかるべき、、、
何でもいいなら自己満足なら心の中に留めておけばよい。

そしてsnsで匿名で批判を続ける輩、、、表現の自由を語るなら、自分の名前を出してフェアに発言すべきだ。顔を隠して石を投げる行為は、自由ではなく責任なき言葉に過ぎない。

そして何より、ひたむきにプレーしている学生を晒す必要はない。彼らは批判のためにプレーしているわけではない。どの世界でも、まずは尊重と共感がベースにある。それがあるからこそ「その意見を聞こう」となる。意見を発信するなら、そこには相手がいる。その前提を忘れてはいけない。

SNSは便利だが、便利さの裏で「批判することが目的化」してしまうことがある。そこに価値はあるのか。批判するなら、自分なりの視点や提案を添えるべきだ。それが建設的な対話につながる。

この試合が教えてくれたのは、「全力を出し切る姿は美しい」ということ。学生たちの姿勢に敬意を払う。それがすべての出発点である

そこはお願いしますよ

そこはお願いします

もう一度言います、、、そこはお願いします 

well being それではまた!!