重荷がないということは、本当に「良い」ことなのか
最近ふと思う,,,
重荷がない、順調である——それが本当に良い,,幸せな状態なのかどうか。
順調が続けば、当然ながら日々は平坦になる。
味気がなくなり、、、刺激はどんどん薄れていく。そこに「生きている感覚」がどれだけ残るのかと考えると、どうも心許ない。
多くの人は言う。
「ちょうど良いのが一番でしょ」
「何事も平穏がいいよ」
そんな声はよく聞く。
でも、その“ちょうど良い”ってなんだ?
突き詰めれば、思い悩む必要のない、無味無臭の生活のことなんじゃないか。
もちろん平穏が悪いわけではない。
ただ、少し苦かったり、辛かったりする日があってこそ、たまに訪れる甘みが際立つ。
苦味があるから甘みが分かる。
辛さがあるから、優しさが沁みる。
課題はいつまでも尽きない。
もし「ちょうど良い」を求めて仕事を全部取り払ったらどうなるのか。
たしかにストレスは減るのかもしれない。
でもその先には何が残る?
きっと、そこに“幸せ”はない。
幸せは無味無臭の中には存在しない。
しっかりとした濃い味の中にこそ宿るものだ。
だから今日も、精一杯「今」と向き合ってみる。
もがきながら進むしかない道だとしても、その濃さこそが生きている証になる。
さあ、今日も濃い道のりを歩もうか。
well being それではまた!!