地方都市の首長選挙が公示されるたびに、いつも考えさせられることがある。
それは「正しさ」と「人間らしさ」はどこまで両立できるのか、、、という問いだ。
行政のトップに立つ人間は、市全体のイメージを背負う存在だ。
一つひとつの行動が「個人」ではなく「自治体」として評価され、時には誤解され、拡大解釈される。
その厳しさは、民間企業の経営者とは根本的に違う。
経営者であれば、極論すれば結果が出ていれば一定の評価は得られる。
しかし行政執行者はそうはいかない。
結果だけでなく、「あり方」そのものが常に問われる。
だからこそ、行動の選択一つひとつに、説明がつかない余地を残すこと自体がリスクになる。
どれだけ本人に下心がなくても、第三者が見て首をかしげるような状況を作ってしまえば、それはもう「説明責任」の問題になる。
一方で、対立軸としてしばしば打ち出されるのが「清く正しく」という姿勢だ。
それ自体は否定されるものではないし、むしろ今の時代、強く求められている価値でもある。
ただ、正直に言えば、私は時々こうも思ってしまう。
――そんなに完璧にクリーンな人間は、本当に存在するのだろうか、、、と。
全部が全部、非の打ちどころなくて、揺らぎも矛盾もない、、、
そういう人物像は、どこか人間味を欠いて見えてしまうことがある。
それで、複雑で感情を持った市民を相手に、柔らかく血の通った市政運営ができるのだろうか。
「正しさ」を前面に出すことと、「人の弱さ」を理解すること。
この二つは、決して相反するものではないはずだが、実際には微妙なバランスの上に成り立っている。
完璧さを演じ続けることも、また大きな負荷を本人に強いる訳で、、、
そしてそれは、いつか無理が来る。
首長という仕事は、本当に難しい。
清廉さも必要だし、人を思いやる感覚も求められる。
どちらか一方だけでは足りない。
選挙という非日常の中で、つい「善か悪か」「白か黒か」で見てしまいがちだが、
本当はその間のグレーゾーンにこそ、人間がいて、政治があるのではないか。
そんなことを、選挙のたびに考えさせられる
well being それではまた!!