自分しか救えない人のために。だから縁のない案件は消えていい、、、

千載一遇と思った案件が、あっけなくずっこけた話

「これは自分しかできないだろう」と思えるような、千載一遇の案件が舞い込んだ、、、久しぶりに血が騒ぐような、そんな仕事、、、しかしあっけなく頓挫した。

原因は何かといえば、プラットフォーマーの構造上ありがちな “エージェントの力量次第” という壁だ。オンライン面談など、初期のタッチポイントはすべてプラットフォーマーのエージェントが握っている。そこがつまずくと、こちらの真価が届く前にゲームオーバーになる。

実際、職務経歴書を「ちょちょっと流し読み」した程度だったんだろう、、、自分の意味合いも背景も人生の機微も、ほとんど届いていなかった。若さゆえの経験不足も相まって、肝心な部分が理解されなかった。「もう少しうまく立ち回れただろう」の懐疑はぬぐえない、、、

だが、、、

そもそも、俺のミッションは
“自分しか救えない人を救うこと”、、、

だから、プラットフォーマーのエージェントがどうだったとか、経験が足りないとかは本質じゃない。最終的に判断するのは依頼主の経営者だ。経営者が「今回は違う」と思ったのであれば、それはもうどうにもならない。そこは抗えない領域だ。

そしてさらに深く突き詰めれば、
俺の価値は『長期で伴走するサポーターであること』
その関係性を築けない相手と中途半端にスタックするくらいなら、初期で頓挫してくれた方がむしろ良かったのかもしれない。

負け惜しみではない、、、これは本心だ。

縁のない相手に無理に入り込んでも、お互いに消耗するだけだ。長期で一緒に走れない相手であれば、早期で離れるのはむしろ「ラッキー」だったのだと、今ではそう思っている。

今回の件は、改めてミッションを見つめ直す良い機会になった。
俺はこれからも「自分しか救えない人」に集中していく

well being それではまた!!

人生の決定をするのはあくまで自分、、、誰かに委ねるようなことはしない

自分のペースで進むという「責任、、、

こちらのペースで物事を進ませたいなら、まずは自分が動くしかない。
ただし、自分が動いたからといって、相手や状況がその速度についてきてくれるとは限らない。
ここを誤解すると、期待と現実のギャップに振り回されてしまう。

努力も同じだ。
努力すれば必ず報われるわけではないし、努力が結果に直結しない場面は山ほどある。
だが、「やってもやらなくても同じ」では決してない。

報いを受ける可能性があるのは、努力した人間だけだ。

だから相手がどうとか、状況がどうとかよりも、こちらは今日を歩けばいい。
歩いた分だけ、未来の可能性が増えていく。

そしてもうひとつ、忘れてはいけないことがある。

人生の決定を誰かに委ねるな。

自分の未来を決めるのは、状況でも、他人でも、世間の空気でもない。
「誰かが動くのを待つ」という姿勢は、人生の主導権を手放すのと同じだ。
こちらが歩まないと、こちらのペースは永遠に生まれない。

一方、体調の悪化というものは、大きな事件から始まるわけではなく、
日々のルーチンの小さな堕落から静かに始まっていく。

「今日はやらなくていいか」
「まあいいか」

そういう小さな緩みが積み重なると、未来が崩れていく。

「これをやったらどう?」
「やらなかったらどう?」

そんな理屈は不要だ。
迷う前にやる。
考える前に動く。

これはストイックさの押し付けでもなく、
自分の人生のハンドルを自分で握り続けるための最低限の所作だ。

今日もまた、自分の足で、自分の速度で歩むだけだ。
その一歩一歩が、誰にも奪われない未来をつくっていく。

well being それではまた!!

膝が教えてくれた「トレードオン」の法則

さてと。
治りかけていた膝を、油断してまた別のところを痛めてしまった。

もう認めざるを得ないけれど、身体は確実に“経年劣化”している。これは悲観じゃなく、ただの事実だ。事実である以上、そこを前提にした使い方をしなければならない。

機械だってそうだ。
きっちり手入れをして、アイドリングをして、試しながら動かす。
わかっているけど──どうしても前に進みたい気持ちが先に立つ。

これはもう性分みたいなもので、いい意味で“仕方がない”のだと思う。
ただし、ひとつだけ間違えてはならないことがある。

「今を焦って、これからを潰してはならない」

ビジネスパートナーでも、友人でも、夫婦でも同じだと思っている、、、
互いに期待しているのは、“今”だけではなく“これから”も含まれているのだ

そうここにはトレードオフなんて存在しない。
あくまで トレードオン、両方の成立で積み上げていく関係だ。

そもそも、どちらかが潰れてしまえば、品質がどうこうと言っている場合ではなくなる。
大事なのは ずっと続いていくこと
まずは、その持続性を担保することだ。

そのうえで、可能な範囲でアップグレードを考えていく──
本来はそれが正しい順番なのだと思う。

膝が痛むたびに、身体はこう言ってくる。
「順番を間違えるな」と。

今日もしっかり手入れをして、また一歩ずついこう

「生きて帰ってこれて良かった」——平野歩夢が五輪で見せた本気の軌跡

スノーボードの平野歩夢選手が、ミラノコルティナオリンピックで語った
「生きて帰ってこれて良かった」
この一言が、胸の奥に強く刻まれた。

出場すら危ぶまれるほどのケガを押して臨んだ五輪、、、
本来なら、身体を休めて回復に専念するべき状態だったはずだ。
それでも彼は、世界最高峰の舞台に立ち、あの状況から7位に食い込んだ。

あのジャンプの高さ、技の難易度、そして一歩間違えば致命傷にもなりかねないリスク、、、
そのすべてを抱えながら、それでも飛んだ。
その結果として出てきたのが、あの言葉。

「生きて帰ってこれて良かった。」

そこには、命を削るような覚悟と、限界の先まで積み上げてきた膨大な時間が滲み出ている。
自分を信じ切れたのか。
積み上げてきたものに裏切られないだけの努力をしてきたのか。
あの短い言葉に、彼のすべてが凝縮されているように感じた。

そして思う。
人間はここまで美しくなれるのか、、、

これは勝敗だけでは到達できない領域だ。
結果だけでは語れない深さだ。
自分のすべてを投じた者だけが纏う、あの静かな美しさ。

安全な場所にいながら「もっとできた」と思っている自分。
逃げ道を残しながら「全力でやっている」と言い聞かせてきた自分。
そんな自分の甘さが、彼の言葉で一気に照らされる。

本気で積み上げた者だけが、自分を信じ切ることができる。
自分を信じ切った者だけが、美しさを纏う。

ミラノコルティナでの平野歩夢選手の一言は、競技の結果を超えて、
“人はどこまで研ぎ澄まされることが出来るのか”
その問いを静かに突きつけてくれた。

やりたいのに進まない人へ|行動が動き出す「タッチの習慣」

でも、そこは言うほど簡単ではない。
毎日いろんなことが起きる中で、ストレスの原因を正面に持ってくるなんて、正直かなりしんどいのは当たり前だと思っている
だからすぐに終わるタスクから片づけて全体を軽くした気になったり、やりやすいことに飛びついて「動いている感」をつくって浸ったり…。
目の上のたんこぶだと分かっていても、いざ手をつけようとすると途端に遠く感じる。目の前にあるのに、そうやって先延ばししてしまうのだ。

だけど、それを動かさなければ状況は動かない。
これは厳然たる事実だ。
どれだけバタバタしても、核心に触れなければ何ひとつ前には進まない。

だから、まずは朝イチでさくっと触れてみたいと思っている。
いきなり全部をやろうとしなくていい。
ほんの少し、指先だけでも触れるようにタッチしてみる。
少しでも押してみる。それだけで状況がわずかに動き出す。

毎日は否応なしに始まっていく。
後でやろう、あとでまとまって時間を取ろう——そんな考えでは、流れにどんどん押し流されてしまう。
やるのは“今”なんだ。
“今触れること”が、すべてを変えていく最初のスイッチになる。