ボーナスのない夜に考えたこと

あぁ、いいなぁと思った夜

妻が「ボーナス出た!」と笑顔で報告してきた。
その瞬間、心の奥で小さく「あぁ、いいなぁ」と呟いてしまった。

夏と歳末、入用の時期にプラスオンがあるなんて、なんてありがたい仕組みだろう。
誰が考えた制度なのか知らないけれど、生活に余裕をもたらすその仕掛けは、勤め人にとって本当に救いだ。

でも、事業主の自分には当然そんな制度はない。
今月も、あと数千円で届く月間目標にギリギリ手を伸ばしている。
羨んでも仕方がない。
だから今、明日の研修資料の最終校正をしている。

勤めていた頃にはなかった視点

会社員だった頃、最高のパフォーマンスを出すために「どうすればいいか」なんて考えたことがなかった。
いや、思いも及ばなかった。誰かがやってくれるという甘えがあったのだろうか

でも今は違う。
やれば、そのまんま全部自分に戻る。
とはいえ、努力した分がすべて成果として表に出るわけでもない。
それでも、意味ある時間を過ごせているなら、何らか世の中にアウトプットしているんだろう。

路傍の石のように

その積み重ねは、目立たないかもしれない。
路傍の石のように、誰にも気づかれずそこにあるだけかもしれない。
でも、確かに積みあがっている。
そう信じられるから、今日も手を動かす。

羨ましさを感じる瞬間はある。
でも、今の自分の選んだ道には、自分なりの価値がある。
その実感があるから、今日も前に進める。

一晩寝れば治るはもう古い!年齢とともに変わる体調管理の重要性

肘の痛みがようやく治まったと思ったら、今度は喉が痛くなる。
原因はわかっている。加湿器を入れずに放置したツケだ。乾燥を甘く見た結果、数日間お医者さんにも行かず過ごし、ハードワークがこなしにくくなった。

今の時代、「熱はないけど咳だけだから大丈夫」では済まない。周囲への配慮も必要だし、何より自分のパフォーマンスが落ちるのは致命的だ。
一晩寝れば治る――そうもならない年齢になってきたことも痛感する。

「自分しか救えない人」と関わる仕事をしているなら、まずは自分を救うこと。
明日を照らすシゴトであるなら、照らせるパワーを出せるようにコンディションを整えることが最優先だ。

結論はシンプル。
体調管理は自己責任であり、仕事の一部でありベースとなるもの
加湿、休養、必要なら医療機関の受診、、、どれも「後回しにしない」ことが、結果的に周囲への責任を果たすことにつながる。

あなたは、どんな方法で自分のコンディションを守っていますか?
「忙しいから後回し」にしてしまう習慣、ありませんか?
そして、もしあなたのパフォーマンスが落ちたら、誰が困るでしょう――自分だけではないはずです。

奥ゆかしさと高潔のあいだで

今日は昔の仲間と久しぶりに顔を合わせた。
「ネットで見たけど、順調そうだね」
そんな言葉をかけてもらうと、事実そうであり、事実そうでない部分が入り混じっている現実に返答が淀む、、、
表層の情報と内側の現実は、決して完全には重ならないものだ

だからか、、、「いや、そうでもないよ」
そう割り引いてしまうのは、私だけではないだろう。
それは日本人らしい奥ゆかしさの表れかもしれない。
だが、奥ゆかしさと卑下は似て非なるものだ。
奥ゆかしさは、自己を誇示しない美徳、、、
卑下は、自己を過小評価し、価値を否定する態度。
前者は調和を生み、後者は自己を蝕む。

哲学者カントは「人間は目的そのものである」と語った。
つまり、誰もが尊厳を持ち、他者と比較して価値を絶対的に測るべきではない。
しかし現実には、私たちは常に「上には上がいて、下には下がいる」という相対的な世界に生きている。
この比較の連鎖から逃れることはできない。
なぜなら、課題は永遠に追いかけてくるからだ。
どこにいても、何をしていても、次のハードルは必ず現れる。

では、どう生きるべきか。
私はこう思う。
奥ゆかしさは残すべきだ。だが、卑下しない高潔さも残すべきだ。
それは「自分を誇らない」ことと「自分を貶めない」ことの両立だ。
このバランスこそ、日本人の美意識を現代に生かす鍵になる。

奥ゆかしさは、他者との調和を重んじる文化的資産。
高潔さは、自己の尊厳を守る哲学的態度。
この二つを併せ持つことができれば、
私たちは比較の連鎖に巻き込まれながらも、
自分の歩みを誇りに思えるのではないだろうか。

あなたはどう思う?
奥ゆかしさと高潔さ、どちらを優先して生きているだろうか。

well being それではまた!!

SNS時代の発信責任――匿名の刃に思うこと

SNSやブログ、動画配信。今や誰もが簡単に「発信者」になれる時代となった
その自由は素晴らしい。しかし、その一方で、匿名で放たれた言葉が、時に刃のように人を突き刺す現実があ、、、。発散のために投げられた言葉が、誰かの心を深く傷つけることも珍しくない。

私は発信者の端くれとして、こう思う。
やるならやるでいい。その言葉に責任を持て。

責任を持つためには、実名で発信する覚悟が必要だ。
ハンドルネームや裏アカで暗躍するのではなく、堂々と自分の名前で語るべきだ。後出しジャンケンなら誰でも言える。安全圏から石を投げるだけなのは卑怯だ。

人間だから、いろいろな欲に捉われる。
突出している著名人であればなおさら、その欲は強いだろう。所詮、同じ人間だ。だからこそ、強い部分もあれば弱い部分もある。
それを断じるべきではない。そもそもそれを当事者でないあなたが批評をする権利すらないのだから

匿名で言いたい放題――それは「許されている」わけじゃない。
自由には責任が伴う。発信するなら、その覚悟を持つべきだ。

出る杭”を打つやり方、、、これがどんどんつまらない世の中にしていくのだ

我々は一体どんな世界で生きていたいのか

それを今は問いたい

well being それではまた!!

タスクは動かない、動かすのは自分|やる気を呼び起こすアンカーの力

さてタスクの山が低くなっている感じがしない、、、それは当然だ。まだ表面をなぞっただけなのだから。はっきりしているのは、自分が動かさない限り、何も動かないという絶対的な事実、、、遠ざけても近づけても、タスクの重さは変わらない。重さは、行動の有無でしか変わらないのだ

分かっていながら、数日が過ぎた。そして今日は日曜日、、、うーんどうしようかと思いながらまずが朝、強制的にウォーキングをした。冷たい空気を切り裂く一歩ごとに、やる気の虫が目を覚ます。そう、その虫を起こす「アンカー」になる行動を、自分で仕掛ければいいのだ。

やることがある。それはそのタスクは自分に依存しているということ。つまり、自分しかできないとも言えるのだ そう価値あるカタチにするのは、自分の手だけなのだ。だったら、苦いも含めて楽しもう。苦味は、挑戦の証なのだ。

タスクは敵じゃない。積み重なった現実だ。

逃げても軽くはならない。

向き合えば、少しずつ形を変える。

寒さも自然の摂理。ウォーキングで体を動かし、やる気を呼び起こし、今日も進もうか

well being それではまた!!