「こうありたい」と「こうでなくては」のあいだで
「こうありたいな」と思える感覚は好きだ。
それは自分らしさに触れている感じがするし、背伸びはしていても、芯はぶれていない感覚だ
でもいつの間にか、それが
「こうでなくてはならない」
にすり変わってしまうことがある。
この違いは小さいようで、実は大きなモノになっているのだ。
「こうありたい」は広がる。
「こうでなくては」は、途端に自分を狭くしちゃうのだ
現実は、だいたいうまくいかない。
思っていた通りにならないことの方が多いし、ましてや他者との関わりの中では猶更うまくいかない
相手がいる。
相手にも事情がある。
感情も、価値観も、タイミングも揃わない、、、
それなのに、
「こうあるべきだ」
を手放さずにいると、ただただ疲れてくる。
現実と理想のズレを、全部自分で受け止めようとするからだ。
「それは、そうなんかぁ」
どうとも解釈していない、、、本当は、それくらいでいいはずなのに。
納得でも諦めでもなく、
一旦、そう受け取ってみる。
「まあ、そういうこともあるよな」
「今はそういう流れなんだろう」
その一言で、呼吸が戻ることがある。
ただ厄介なのは、年齢を重ねるほど、この寛容さが薄くなりやすいことだ。
経験が増える。
成功も失敗も積み重なる。
自分なりの「正解」ができあがる。
すると、無意識のうちに
「自分はこうしてきた」
「だから、こうあるべきだ」
という軸が強くなる。
それ自体は悪くない。
むしろ、積み上げてきた証でもある。
でも、その軸が硬くなりすぎると、自分の動きまで鈍くしてしまう。
だからこそ、ここは意識して軽やかにしたい。
勘違いしやすいのは、
これが「妥協」や「自分を下げること」だと思ってしまう点だ。
違うのだ、、、
無理をして飲み込むことでも、我慢し続けることでもない。
「こうでなくては」を緩めることは、負けることではない。
むしろ、そこには第三の境地が開く。
白か黒か。
正しいか間違っているか。
やるべきか、やるべきでないか。
その二択から一歩外れたところに、新しい選択肢が生まれる。
それは、我慢の延長ではない。
自分をすり減らす選択でもない。
「今の自分なら、こうもアリだな」
という、新しい選び直しだ。
「こうありたい」を持ちながら、
「こうでなくては」に縛られない。
それは、自分を甘やかすことでも、諦めることでもない。
変化し続ける自分を信頼する、ということだと思う。
年齢を重ねるからこそ、
頑なになるのではなく、
しなやかになる。
それは、下がることではない。
次のフェーズに進むための、選択だ。
我慢ではない、新しい選択なのだ
well being それではまた!!