復活の霧島関、二年半の苦闘と優勝の理由|変わり続ける勝負の世界で生き残る術

大相撲春場所、霧島がついに 14場所ぶり、実に二年半ぶりとなる3度目の優勝 を果たした。
2026年3月21日、大阪・エディオンアリーナでの取組。霧島は大関・安青錦に敗れたにもかかわらず、追走していた豊昇龍と琴勝峰がそろって黒星を喫し、千秋楽を待たずして優勝が決まった。 この二年半、彼は何を考えてきたのか。
日刊スポーツの報道では、霧島はこう語っている。

「あきらめずに信じてやってきた」

横綱を狙う最前線にいながら、ケガで歯車が狂い、大関から陥落し、平幕にまで沈んだ時期もあった。それでも彼は、環境や運、不運を嘆かず、「受け入れて、今やれることをやる」ことに徹してきたのだ。

稽古、稽古、また稽古。
自分に向き合い続けるしかない日々。
やさぐれても、ケガのせいにしても、結果は変わらない。
だから“今やれることを積み上げるしかない”,,,そんな足元にある真理をなかなか実行し続けられない

この潔いほどの姿勢が、今回の復活優勝につながった。

猫の目のように変わるのが勝負の世界

勝負の世界での評価は、本当に「賽の目」がコロコロ変わる。
時代の寵児として扱われていた大の里は休場へ。
安青錦も綱獲り目前と言われた中で痛い黒星が続き、カド番の危機に立たされている。

一方で、復活は難しいと映っていた霧島が、こうして優勝を引き寄せ、大関復帰へと大きく前進した。

良い時も悪い時も、誰にでも突然やってくる。
一気に星が落ちることもあれば、気がつくと光が差し込むこともある。
その巡り合わせこそが勝負の世界の真理だ。

今を積む者だけが、道を開く

今回の霧島の優勝劇は、華やかな逆転劇やドラマのような展開ではなく、
「コツコツ積み上げた者が最後に報われる」
そんな、地味だけれど普遍的な物語だった。

彼が語った“受け入れること”
そして“今できることをやる”という姿勢。

これは、ビジネスでも、人生でも、どんな局面でも効く。
むしろ年齢を重ねるほど、積んできたプライドや経験が邪魔して素直に受け入れられなくなる。でも、霧島はそこに正面から向き合い、逃げずにやり切った。

だからこそ、今回の優勝は重い。

そして、彼の姿はこう語っているように思う。

「状況は変わる。運も流れも変わる。
だが、自分だけは今日の自分を積み上げ続けるのだ」

霧島関 本当におめでとう。
心から敬意を表します

well being それではまた!!

この年齢でまだ上手くなれる|ウェッジ選びが練習意欲を爆上げした理由

新しい52°ウェッジに込めた、はっきりしたテーマ

56°ウェッジが最近とにかく調子がいい。
この流れを逃す手はないと思い、思い切って52°も同じシリーズで調達した。

ただ今回は「新しいクラブが欲しかったから」ではない。
明確にテーマを決めて、それに合う一本を選びにいった。

今回のテーマは“見え方・抜け・打感”

● 少し黒ずんだ仕上げで、ヘッドを小さく見せる

構えた瞬間に「振れる」と思えるかどうか。
黒く締まったヘッドは錯覚的に小さく見え、結果として振りやすい。
道具の見え方って、思っている以上にスイングに影響する。

● バンスは“振り抜き”最優先

ザクる恐怖がないと、こちらが自然と攻めにいける。
振り抜きが良いウェッジは、多少のミスも許容してくれるし、
自然とスイングが前に前に進む。

● フェースに“球が乗る”打感

球が滑らず、フェースに乗るあの感覚。
あれがあると距離も出るし、ラインをイメージしやすい。
52°でも56°の感覚をそのまま持ち込めるようにした。

オーバースペックでもいい

正直、今の自分には少しオーバースペックかもしれない。
でも重めのシャフトは振り過ぎを抑えてくれるし、左へのミスも減る。
上から叩きやすいし、距離のコントロールにも繋がる。

でも、「背伸びした道具」は練習の理由になる。
クラブに負けないようにしようと思える。
そして気づけば、技術全体が上がっていく。

オーバースペックは悪ではなく、
自分を引き上げる“負荷”にもなるんだ。

この年齢でも、まだ夢中になれる

ゴルフは不思議なもので、一本のクラブでまた追いかけたくなる。
こんな年齢になっても、まだ夢中になれる。
まだ上手くなりたいと思わせてくれる。

well being それではまた!!

動くときは動く。休むときは休む。旅の本質を取り戻すためのシンプルな工夫

旅をしているとつい陥りがちな罠がある。
「せっかく来たんだから」と、あれもこれもと予定を詰め込んでしまうやつだ。

観光地を片っ端から回って、写真を撮って、名物を食べて…。
気づけば、楽しむために来たはずなのに、どこか“こなす旅”になっている。
終わったあとにふと出てくるのが、
「これ…くたびれに行っただけじゃない?」
という虚しさだ。

旅の本質が、気づかないうちにすり替わってしまう。

■ 日中に動いて、夕方はホテル近くで過ごすという徹底

今回はここを徹底的に変えてみた。

まずは日中に動くだけ動いてみる。
体力のあるうちに、気になる場所をまわり、やりたいことをやっておく。

でも、夕方に“無理が見え始めたら”そこで終わり。
ホテルから遠ざからない。
むしろホテル周辺だけで過ごす。

これが思った以上にいい。

夕方の移動を減らすだけで、疲れ方がまったく違うし、
チェックイン後にダラダラと過ごす時間が、旅を豊かにしてくれる。
部屋で落ち着いてから、近くの店で食事をするだけでも十分満足できる。

■ 朝はゆったり。詰め込まないけれど、適当とは違う

さらに今回は、朝をゆったり始めた。

「せっかく来たんだから朝から動かないともったいない」
という思考を一度手放してみた。

遅く起きるということではない。
ただ、スタートを急がない。
ホテルの朝の時間を味わう。
体を整えてから外へ出る。

すると、1日の密度がちょうどよくなる。

そして重要なのは、
詰め込まない=適当ではない
ということ。

ただスカスカにするのではなく、
“意図した余白”を持つこと。
ここが旅の質を決める。

■ 本来の目的を、ちゃんと達するために

旅の目的は、人によって違う。
休息か、刺激か、見聞か、気分転換か。
ただひとつ共通して言えるのは、

「詰め込みすぎると、本来の目的はほぼ達成できない」

ということだ。

今回のように、
日中動いて、夕方はホテル近くでゆるく過ごし、
朝はゆったり、余白を持ちながらも意図を持つ。

このバランスが、自分にとっていちばん心地よかった。

せっかく来た旅だからこそ、
“全部やろうとしないこと”が、旅をちゃんと楽しむということにつながる。
そう実感できた旅だったことが良かった

well being それではまた!!


少しのプラスで旅が変わる──移動も食事もホテルも、上質は小さな決断から

旅をしていて改めて思ったコト、、、
「この程度でいいか」と割り切ると、旅全体もその“程度と範囲”に収まってしまう。
でも、ほんの少しでいいからプラスしておくと、一気に快適さもスムーズさも跳ね上がる。

ホテル、食事、レンタカー。
どれも“最低限”で済ませられるけれど、その少しの上積みが想像以上の差になる。

■ ホテル:数千円の差が、滞在の質を左右する

ホテルはまさに象徴的だ。

部屋が少し広いだけで、身体の抜け方が違う。
立地が少し良いだけで、移動のストレスが消える。
朝食がちゃんとしているだけで、1日の効率が変わる。

「寝られればいい」から「休める場所を整える」へ。
これだけで旅が何割も良くなる。

■ 食事:ちょっと背伸びで、“腹を満たす”が“体験”に変わる

食事も同じだ。

値段だけで選べば、確かに腹は満たせる。でも、少しだけ良い店にすると、
そこには“味”だけじゃなく“時間の質”が生まれる。

席の間隔、雰囲気、接客。その全部が積み重なって、
「来てよかった」に化ける。

■ レンタカー:旅の主導権を取り戻す道具

そしてレンタカー。これは旅では切り離せない。

電車移動は便利で快適だけど、結局は“時間を委ねる移動”になる。
それに対してレンタカーは、
自分の計画で動ける。
ドア to ドアで移動できる。
途中で予定を変える自由もある。

これが本当に大きい。

しかも、車種を少しグレードアップするだけで、
運転の疲れ、車内の静かさ、安全装備、ナビの精度など、
すべてがより安心で余裕のある旅になる。

旅の満足度の半分は“移動”で決まるとも言える。
だからこそ、その移動を軽視しない。


■ まとめ:少しのプラスを惜しまない

少しの差を“面倒だから”で削らないこと。
そこに投じたわずかなプラスが、旅全体を大きく底上げしてくれる。

これは旅だけじゃなく、仕事でも生活でも同じ。
「この程度でいい」を超えたところに、心地よさと成果がある。

隙間を埋められると本来の体験がぐっと上質になれる 少しを惜しまない大切さを感じられた 明日からの日常にも生かしたい

well beingそれではまた!!

娘との旅行が教えてくれた、自立・安心・そして親の幸せ

娘とふたりで旅行に出て、あらためて強く感じたことがある。
それは「彼女は一部しっかり大人になっている」ということだ。

お店に入れば、自分で注文し、料理を運んでくれた店員さんに自然と「ありがとうございます」とお礼を伝える。その一連の動作があまりに自然で、誰に似たのかと思うほど礼儀正しく、すごいな、素晴らしいなと感じた。

ただ、旅全体のスケジューリングやマネジメントは、さすがにこちらに一日の長がある。車の運転も専属のように引き受けたので、娘は安心して横でぐっすり眠っていた。そんな姿を見ると、なんだか嬉しくなる。あういう姿は絶対的に安心していないと見せれない姿だと思うからだ

今回の旅行の目的は、何より娘の「自立」だった。
そして、大学受験に向けて気持ちを整え、前に進むための区切りでもあった。

だからこそ、この旅が成功したかどうかは、娘が満足したかどうかだけで決まる。
親である私がどうこうという話ではない。

でも、娘が喜べば、こちらも自然と嬉しくなる。
親って、そういうものだ。

今回の旅で望んでいたのはただ一つ。
娘が活動的に動き、興味の向くままに見て、たくさん美味しいものを食べて、そして夜はぐっすり眠る――そんな「生命力のある時間」を過ごすこと。

そして彼女は、それをしっかりやってくれた。

それだけで、この旅行は充分すぎるほど成功だった。

well being それではまた!!