個人事業主が疲れる原因は交感神経?効率化しても楽にならない理由

個人事業主をやっていると、
「今やっておけば、あとが楽になる」
「今日のうちに明日の分まで進めておこう」
そんな思考に、知らず知らず引っ張られる。

実際、それは間違っていない。
前倒しで進めることが成果につながる場面は、確かにあるが,,,

ただ、今の環境を冷静に見てみると、
数年前とは明らかに状況が違っている。

業務はマルイチデバイス化し、
AIも当たり前のように使えるようになった。
資料作成、情報整理、文章化――
どれをとっても、以前より圧倒的に効率は上がっている。

「本来なら、もっと楽になっているはず」
そう感じている人も多いんじゃないだろうか。

それなのに、
業務が軽くなった感覚が、あまりない。

これは不思議でも何でもなくて、
理由はとてもシンプルだ。

明日のことを今日やったとしても、
明日になれば、明日の案件がちゃんと生まれてくる

人と関わり、社会と接点を持っている限り、
タスクは自然発生的に増えていく。
だから、無理に「明日」を先取りしても、
世界そのものは何も変わらない。

それなら――
ビンビンに張りつめた交感神経を、
一度ちゃんと休ませたほうがいい。

内省に向かう業務、
たとえば振り返りや構想、思考の整理なら、
まだエネルギーの消耗は少ない。

でも、相手ありきの業務は違う。

メール、チャット、打ち合わせ、SNS。
どうしても「反応」が過剰になる。
即レス、即判断、即対応。
気づけば、こちらの神経も同じ強度で反応してしまう。

結果、
反応した自分自身が、いちばん疲れている。

だから思う。

今日のことは、今日でいい。
明日になって生まれたことは、明日考えればいい。

それは怠けでも逃げでもなく、
自然の摂理に従う、という選択だ。

交感神経を休めることは、
生産性を下げる行為じゃない。
むしろ、長く進み続けるための「技術」だと思っている。

個人事業主だからこそ、
アクセルを踏む技術だけじゃなく、
意識的に緩める技術も持っていたい。

進むために、立ち止まる。
それくらいで、ちょうどいいのだろう

well being それではまた!!

結局、悩みは対人関係につきる|人間関係に疲れたときの考え方

結局、そこににつきるのかもしれない

振り返ってみると、
仕事でも、地域活動でも、日々の暮らしでも。
我々の悩みのほとんどは、対人関係に行き着く、、、

相手がどう判断するのか。
どう動くのか。
それは、結局その人に委ねられているにも関わらずのにだ
こちらがどれだけ考えても、願っても、影響できない部分は確実にあるのに、、、

それなのに、
「なぜそうなるんだ」
「どうして分かってくれないんだ」
と、地団駄を踏んでしまう。

もちろん、自分自身も省みる必要はある。
まずは付き合いやすい人間であったほうがいい。
感情の起伏が激しすぎると、周囲は安心できない。

そして、意外と大事なのが「約束」だ。
大きな約束というより、、、
日々の細かな約束を違えないこと。
時間、言葉、反応、態度。
小さな積み重ねが、信頼をつくる。

だからまずは、
こちら側が「ハートの内側」を持って、
相手を尊重し、共感をもって接する。

これは相手のためだけではない。
そうしたほうが、自分の心が穏やかでいられるからだ。

誤解してはいけないのは、
それは迎合ではないということ。
自分をすり減らしてまで合わせる話ではない。
あくまで、自分のためにやるのだ。

それでも、どうしても難しい相手はいる。
合わない人は、いる。
それを「どうにかしよう」とする必要はない。
「そういうものだ」と受け取ればいい。

そもそも、
全員と付き合うこと自体が物理的に無理なのだから。

ならば、
こちら側もきちんと設えたうえで、
付き合う範囲を定めればいい。
距離を置くことは、逃げではない。
選択だ。

相手を尊重しつつ、
自分も守る。

そのバランスを探し続けることが、
大人になるということなのかもしれない。

well being それではまた!!

批判が届くのは、仕事が前に進んでいる証拠だという話

フィードバックがあるということ

仕事をやっていると、本当にイロイロなフィードバックが届く。
「なるほど」と膝を打つものもあれば、「それは違うかもしれない」と考えさせられるものもある。

そして中には、
なんじゃそれは……
と、思わず激高しそうになるものも混ざってくる。

でも、これはどうやっていても避けられない。
むしろ、やっているからこそ出てくるものだ。

何もしていなければ、批判も、違和感も、感情を揺さぶるような言葉も届かない。
無機質で、静かで、波の立たない毎日になる。

でもそれって、本当にいい状態だろうか。

やれている証拠がそこにある

ネガティブに感じるフィードバックも、見方を変えれば一つのサインだ。
「何かをやっている」
「動いている」
「誰かの視野に入っている」

そういう状態に、今の自分がいるという証明でもある。

やれているほど、余計なことを言う人も現れる。
これはもう、ある意味でセットだ。

だったら、前向きに解釈してしまえばいい。
今、自分はちゃんとやれている。
少なくとも、止まってはいない。

それを確認できているだけでも、十分に意味がある。

だから夜のビールは美味い

一日を振り返って、
嬉しいことも、ムカっとすることも、どちらもあった日。

そんな日の夜に飲むビールは、やっぱり美味い。

感情が動いた分だけ、喉越しがはっきりする。
「今日も一日、使い切ったな」
そう思えるからだ。

何も起きなかった一日と、どちらがいいか。
答えは、もう自分の中で決まっている。

上がったり下がったりしない

だからといって、
一度一度、感情に合わせて上がったり下がったりする必要はない。

一喜一憂して、自分のペースを崩すのが一番よくない。
「それでじゃあいいや」と投げてしまうのも違う。

見るべきものは、目の前の一段。
今日、積み上げられることだけだ。

まずは、今日も積み上げる

結局、今できることはこれしかない。

今日も積み上げる。
淡々と、でも確実に。

評価は後からついてくる。
フィードバックも後からついてくる。

それでも、自分の足で前に進む。
それができている今を、まずは認めていい。

さて、今日の分を積み上げよう。
夜のビールを美味くするために

well being それではまた!!


明治大学ラグビー部優勝、その先にあるもの──神鳥監督の言葉と無常観

優勝は今の一瞬、人生は無常で変わり続ける ― 神鳥監督のコトバから考えること

明治大学ラグビー部・神鳥監督の言葉が、心に刺さっている。
「優勝は確かに一生の思い出ではあるが、同時にこの一瞬のことである」

人は、最高の出来事が「今」起こると錯覚する。
――この状態が、この感情が、この評価はずっと、、、おおよそこんな調子でこれからもいくのではないかと、、、

それは、全国優勝のような特別な瞬間でなくても同じだ。
仕事がうまくいっているとき、評価されているとき、周囲から必要とされているとき。
「未来は今の延長線上にある」と、無意識に信じてしまう。

誰しもが、そんなゆでガエルになる。

しかし人生は、そんなに都合よくできていない。
今日は今日の評価が下り、明日は明日の賽の目が出るだけだ。
昨日の勝利が、今日や明日からの保証になることはない。

人生は無常だ。
良い状態も、悪い状態も、必ず移ろい、巡ってくる。
そう実はすべては常に流れ動いているのだ。

だからこそ、優勝という圧倒的な成功体験を得たあとが問われる。
それを「次の自分」への燃料にできるのか。
それとも、その栄光にしがみつき、消費していくのか。

選ぶのは、他でもない本人だ。

栄光をつかみ、称賛を浴びると、人は簡単に自分を見失う。
「自分だけは違う」
「自分は特別だ」
そう思ってしまうのは、人間として自然な反応だ。

だが、それもまた無常だ。
今日の称賛は、明日には消える。
明日からは、またゼロベースの勝負が始まる。

これは厳然たる事実であり、誰にも例外ではない。

明日には、新しい試合がある。
新しい評価があり、新しい挑戦者が現れる。
そしてその勝負には、常に全員にチャンスがある。

明治大学ラグビー部の部員たちは、きっとそれを分かっている。
だからこそ、まずは思い切り喜び、浮かび、その余韻に浸ってほしい。
それは勝者として与えられた、正当な権利だ。

しかし、本当の難しさはその先にある。
今度は「追う側」ではなく、「追われる側」になる。
チャンピオンとして、すべての相手の全力の挑戦を真正面から受け止めなくてはならない。

人生と同じだ。
成功したあとこそ、日常に戻り、積み上げを続けられるかどうかが問われる。

優勝はゴールではない。
無常な日常へ、もう一度足を踏み出すためのスタートラインと出来るか、、、

この栄光を力に変え、さらに進化する明治であってほしい。
その姿こそが、勝利以上に人の心を打つのだと思う。

well being それではまた!!

結果は突然出ない|数字・習慣・成果の因果関係を解説

数字→習慣→結果という、逃げ場のない因果関係

数字は、突然現れるものではない。
必ずその手前に「習慣」があるものだ

ウエスト88cmとなってしまったが、、、それも全く同じだ。
ある日突然、そうなったわけではない。

夜遅い食事、、、
炭水化物中心のメニュー、、、
ジャンクフードへの安易な逃避、、、
動かない日が続くことへの慣れ、、、

それら一つひとつは、小さく、取るに足らない選択に見える。
だが、習慣とは「小さな選択の積み重ね」だ。

そして数字とは、その積み重ねの合計値でしかない。

個人事業主は、ここを混同しがちだ。

結果(数字)を見て一喜一憂するが、
習慣にはほとんど無頓着なままでいる。

売上が落ちた。
体重が増えた。
集中力が続かなくなった。

だが、それらはすべて「結果」であって、原因ではない。

原因は、もっと地味で、日常的で、
本人が「たいしたことない」と思っている行動の中にある。

・考えるのが面倒で、いつものやり方を選ぶ
・忙しさを理由に、確認を省略する
・疲れているからと、楽な選択をする

これらはすべて、習慣化した思考停止だ。

数字 → 習慣 → 結果
正確にはこうだ。

習慣 → 行動 → 蓄積 → 数字

数字は、最後に現れる「通知」でしかない。

健康診断も、決算書も、
「あなたはこの1年、こう生きましたよ」というレポートに過ぎない。

だから、数字を見て落ち込むのは的外れだ。
見るべきは、もっと手前だ。

・なぜその習慣を選び続けたのか
・いつからそれが当たり前になったのか
・変えられる余地を、どこで放置したのか

ここに向き合わない限り、
どれだけ数字だけをいじっても、結果は変わらない。

事業でも同じことを、嫌というほど見てきた。

売上を上げたいと言いながら、
新しい打ち手を試す習慣がない。

利益を残したいと言いながら、
数字を毎月見る習慣がない。

成長したいと言いながら、
学びに時間を割く習慣がない。

それで結果だけを欲しがるのは、
運動せずに体重計だけを睨んでいるのと同じだ。

今回の88cmは、
「生活習慣がこのままだと、結果はこうなる」という
極めて分かりやすいサンプルだった。

だから私は、数字を責めない。
自分を責めもしない。

ただ、習慣を見直す。

ウオーキングが無理なら、ジムという選択肢を入れる。
食事を感覚で決めず、ルールを決める。
「忙しいから」は理由にしない。

これは意志の問題ではない。
設計の問題だ。

良い結果は、
気合ではなく、習慣の設計からしか生まれない。

個人事業主にとって、
習慣とは「最小単位の経営判断」だ。

毎日の選択が、
半年後の数字を決める。

数字を変えたいなら、
習慣に手を入れるしかない。

逆に言えば、
習慣に手を入れた瞬間から、結果はもう動き始めている。

88cmは、終わりではない。
因果関係が見えたという意味で、
むしろ「始まり」だと思っている。

数字は、習慣の鏡だ。
鏡を割るのではなく、
映っている自分の動きを変える。

それが、数字と正しく向き合うということなのだと思う

well being それではまた!!