大学受験を控えた娘に贈る言葉|大晦日に考えた挑戦の意味

大晦日、静けさの中で

朝から空気が澄んでいた。窓の外には冬の陽が低く差し込み、庭の木々の影が長く伸びている。妻と次女は、荷物を抱えて妻の実家へと旅立った。玄関のドアが閉まる音が、やけに大きく響いた気がした。家の中は急に静かになり、時計の秒針が刻む音が耳に残る。

自分はというと、正月酒や刺身を諸々買い込み、冷蔵庫に並べて満足したところだ。夜になれば、ひとりで晩餐を楽しむつもりだった。そんなふうに思っていた矢先、長女から進学の相談が舞い込んだ。

大学受験を目前に控えた今、どこをどう受けるのか、最後のところで迷いがあるらしい。スマホ越しに聞く声は、少し不安を含んでいた。思わぬ「お年玉」をもらったような自分は親として、何を伝えるべきか。言葉を選びながら、心の底から出てきた言葉を紡いだ

「まずは、良い無茶をしてほしい。」

打算を打つのはいつでもできる。安全策を取るのも簡単だ。でも、若い今しかできない挑戦がある。自分のココロが本当に望む方向へ進んでほしい。合格かどうかは大学が決めることだ。自分で割り引く必要はない。思いっきりやってほしい。つまらない打算は、ずっと心に残ってしまう。そんな後悔だけはしてほしくない。

電話を切ったあと、しばらく窓の外を眺めた。夕暮れが近づき、空は淡い橙に染まっている。遠くで除夜の鐘の試し打ちが響いた気がした。年の瀬に、静かな家で交わした言葉。親としての願いはただ一つ、挑戦する勇気を持ってほしいということだ。

夜になれば、買い込んだ酒と刺身でひとりの晩餐が始まる。けれど、今日という日は、きっとその味よりも深く心に残りそうだ

well being それではまた!!

2025年を締めくくる大掃除とゴルフ練習|お正月はゆったり過ごす

今年を振り返りながら、大掃除と打ち納め

さて今日は、今年を振り返りながら神棚の整理から始め、大掃除を敢行した。やっぱり年末は気持ちを整える時間だと思う。部屋がすっきりすると、心も軽くなる。

最後にゴルフの練習に出かけた。ドライバーで250ヤードを打ち納めたいところだったが、そうはいかなかった。肘とひざの故障もあり、思うように振れない。それでも「課題が残っていたほうが面白い」とも言える。来年に向けての楽しみができた。

暖かいうちにまた出かけたい気持ちはあるけれど、いつもバタバタせず、ゆったり過ごす時間も大事にしたい。お正月は一人なので、ゆっくりごちそうやお酒を楽しもうと思っている。

明日は大晦日。やり残しがないように、いい締めくくりにしたい

well being それではまた!!

仕事納めに想う、今年を振り返る贅沢な時間

濃密な一年に幕を閉じる

仕事納めの今日、何とか研修講師を務めあげて終わった。あとは入金の確認をするだけ、、、こうして、濃密だった一年に幕を閉じようとしている。

例年ならもう終わっているはずの年賀状や神棚の掃除など、恒例行事はまだ手付かずだ
でも、それは「やらなくてはならないこと」ではなく、むしろ今年を想いながら過ごす贅沢な時間でありたいと思う。

事務所の整理も同じだ。いつも手を届かない場所を片付けながら、今年を振り返る。
慌ただしさに流されるのではなく、ひとつひとつを想いやってみたい

まずは無事に務め上げられた

そこは褒めてあげよう自分を

自分が褒めないでどうする、、、そこは割り引かないで褒めてあげたい!

well being それではまた!!

まだ見ぬエリアへ――年末に誓う、独立後の倍返しへの想い

まだ“大返し”じゃない――年末に噛みしめるあの苦さ

年末の空気が、静かに背中を押してくる。
街はイルミネーションに包まれ、カレンダーの残りはあとわずか、、、
机の上には、期末の数字と、今年の自分の足跡が並んでいる。
仕事納めが近づき、締めの作業をしながら、ふと思う。

確かに、一定の数字は出てきた。
でも、それは想定の範囲内だ。
「このくらいなら、見通せたでしょ」――そんな自分の声が頭をよぎる。

独立は、確かに想像の向こう側にあった。
しかし、その場所は今までの続きで対応できている。
だから、まだ見ぬエリアではないんだと思う。
だから、まだ“大返し”とは言えない。

あれだけの想い,,,それを全部覆すのだ。
必要なプロセスではあった。
でも、まぁ――苦く苦しかった

だったら、その苦さは倍返せるバネになるはずだ。
今で満足するのでは、あのプロセスは何だったのかとなる。
もう一度噛みしめたい、あの苦さを。
もう一度だ。

来年への宣言

この苦さを力に変える。
“大返し”は、まだ先だ。
だが必ず――倍返す。
来年は、そのための一歩を踏み出す年にする。
迷いはない。
ここからが本当の勝負だ

well being それではまた!!

大声で笑い泣く人生を取り戻す|夢中をつくる第一歩

夢中をつくるということ

「夢中をつくってみたい」
最近、そんなことをよく考えている。

このブログのテーマにあるように、自分には“全否定”の経験がある。あの時、すべてを失った感覚と向き合い、ゼロから立ち上がった。だからこそ、今は強くなっているはずだ。なのに、どうしてだろう。元来の性質なのか、費用対効果を見すぎてセーフティにしてしまう自分がいる。

確かにそれなら大きな踏み外しはない、、、けれど、大きなゲインもない。

ほくそ笑むことはあっても、、、大声で笑ったり泣いたりすることが少ない。

ほくそ笑む……泣くのを我慢する……そんなレベルでいるために今があるわけではないはずだ。

なんのための“全否定”だったのか。
一度経験したから強くなっているはずだ。
一度経験したから臆病になってどうするのだ。

だから、まずは今の契約先に思いっきり自分を投下することから始めようと思う。自分を必要としてくれている人たちがいる。その期待に応えるために、全力でやってみる。

大声で笑い、泣いてみようと思っている。
その先に、きっと自分の「夢中」があるはずだ。

そう契約先のために

そう自分のために,,,

well being それではまた!!