奥ゆかしさと高潔のあいだで

今日は昔の仲間と久しぶりに顔を合わせた。
「ネットで見たけど、順調そうだね」
そんな言葉をかけてもらうと、事実そうであり、事実そうでない部分が入り混じっている現実に返答が淀む、、、
表層の情報と内側の現実は、決して完全には重ならないものだ

だからか、、、「いや、そうでもないよ」
そう割り引いてしまうのは、私だけではないだろう。
それは日本人らしい奥ゆかしさの表れかもしれない。
だが、奥ゆかしさと卑下は似て非なるものだ。
奥ゆかしさは、自己を誇示しない美徳、、、
卑下は、自己を過小評価し、価値を否定する態度。
前者は調和を生み、後者は自己を蝕む。

哲学者カントは「人間は目的そのものである」と語った。
つまり、誰もが尊厳を持ち、他者と比較して価値を絶対的に測るべきではない。
しかし現実には、私たちは常に「上には上がいて、下には下がいる」という相対的な世界に生きている。
この比較の連鎖から逃れることはできない。
なぜなら、課題は永遠に追いかけてくるからだ。
どこにいても、何をしていても、次のハードルは必ず現れる。

では、どう生きるべきか。
私はこう思う。
奥ゆかしさは残すべきだ。だが、卑下しない高潔さも残すべきだ。
それは「自分を誇らない」ことと「自分を貶めない」ことの両立だ。
このバランスこそ、日本人の美意識を現代に生かす鍵になる。

奥ゆかしさは、他者との調和を重んじる文化的資産。
高潔さは、自己の尊厳を守る哲学的態度。
この二つを併せ持つことができれば、
私たちは比較の連鎖に巻き込まれながらも、
自分の歩みを誇りに思えるのではないだろうか。

あなたはどう思う?
奥ゆかしさと高潔さ、どちらを優先して生きているだろうか。

well being それではまた!!

SNS時代の発信責任――匿名の刃に思うこと

SNSやブログ、動画配信。今や誰もが簡単に「発信者」になれる時代となった
その自由は素晴らしい。しかし、その一方で、匿名で放たれた言葉が、時に刃のように人を突き刺す現実があ、、、。発散のために投げられた言葉が、誰かの心を深く傷つけることも珍しくない。

私は発信者の端くれとして、こう思う。
やるならやるでいい。その言葉に責任を持て。

責任を持つためには、実名で発信する覚悟が必要だ。
ハンドルネームや裏アカで暗躍するのではなく、堂々と自分の名前で語るべきだ。後出しジャンケンなら誰でも言える。安全圏から石を投げるだけなのは卑怯だ。

人間だから、いろいろな欲に捉われる。
突出している著名人であればなおさら、その欲は強いだろう。所詮、同じ人間だ。だからこそ、強い部分もあれば弱い部分もある。
それを断じるべきではない。そもそもそれを当事者でないあなたが批評をする権利すらないのだから

匿名で言いたい放題――それは「許されている」わけじゃない。
自由には責任が伴う。発信するなら、その覚悟を持つべきだ。

出る杭”を打つやり方、、、これがどんどんつまらない世の中にしていくのだ

我々は一体どんな世界で生きていたいのか

それを今は問いたい

well being それではまた!!

タスクは動かない、動かすのは自分|やる気を呼び起こすアンカーの力

さてタスクの山が低くなっている感じがしない、、、それは当然だ。まだ表面をなぞっただけなのだから。はっきりしているのは、自分が動かさない限り、何も動かないという絶対的な事実、、、遠ざけても近づけても、タスクの重さは変わらない。重さは、行動の有無でしか変わらないのだ

分かっていながら、数日が過ぎた。そして今日は日曜日、、、うーんどうしようかと思いながらまずが朝、強制的にウォーキングをした。冷たい空気を切り裂く一歩ごとに、やる気の虫が目を覚ます。そう、その虫を起こす「アンカー」になる行動を、自分で仕掛ければいいのだ。

やることがある。それはそのタスクは自分に依存しているということ。つまり、自分しかできないとも言えるのだ そう価値あるカタチにするのは、自分の手だけなのだ。だったら、苦いも含めて楽しもう。苦味は、挑戦の証なのだ。

タスクは敵じゃない。積み重なった現実だ。

逃げても軽くはならない。

向き合えば、少しずつ形を変える。

寒さも自然の摂理。ウォーキングで体を動かし、やる気を呼び起こし、今日も進もうか

well being それではまた!!

ウォーキング・ゴルフ・寒さ、、、今を楽しむ生き方

膝や肘の痛みが慢性的になってきた、、、関節痛という言葉を聞くだけで憂鬱になる人も多いだろう。でも、これを忌み嫌っても離れてはくれない。だからといって、日常生活を変える必要はない。相応にウォーキングもするし、ゴルフも楽しめばいい。やってみればそれなりにこなせることが分かるはずだ そう、痛みとの付き合い方であってもゼロサムじゃないのだ

そう、、、いつもいつも状況が完璧にそろっているわけじゃない。何かしらの問題や不具合はある。それでいちいち歩むペースを変えていたら、根本がガタガタになってしまうし進める日がなくなってしまう。だからそれはそれとして、今日も進む。我々は活動する動物なのだ。動かないと、やっぱり気持ち悪いし、調子を自然と落としてしまう。

だから、イロイロと一緒に進みたい。外気は10度以下の寒さになってきている でも、この寒さも冬ならではの自然の摂理だ、、、これも含めて感じていけばいい。現実はそれほど辛辣じゃない。こんなことも思い切って出てみれば以外に気持ち良かったりするのだ

膝痛や肘痛の予防には、適度な休養が大切なんだろう。しかし全部を止めてしまうことはないと思っている、、、痛みも寒さも、現実の一部。だから、今日も歩む、、、そして今日も動く。そうして、日常を積み重ねていく。

well being それではまた!!

「膝や肘の痛みは体からの警笛|今やるべき治療とトレーニングの意味」

膝や肘の痛みを感じるとき、人はつい「そのうち治るだろう」と思ってしまう,,,湿布を貼る、痛み止めを飲む――そんな対処療法で済ませてしまうことも多い。しかし、それは本当に正しい選択なのだろうか。今回、正しく自分が痛みを抱えながら考えた。適切に治療をし、トレーニングをするという筋道を立てることは、決して回り道ではない。むしろ、それこそが最短距離なのだ。

これまでの自分は「ごちゃごちゃ言わずに進んじゃえ」で無理を重ねてきた。仕事や趣味を優先し、カラダの声を無視してきた結果、帰って悪くしてしまった。今感じているこの痛みは、まさにその警笛だ。カラダは資本の根本であり、おろそかにしてはいけない。

そして、”今やれることは今やる”、、、それが一番大事だと痛感する。

治療に行く、計画を立てる、トレーニングをする――この筋道は、いとも簡単に後回しにしてしまうものだ。理由は単純だ。忙しさ、面倒くささ、そして「まだ大丈夫」という根拠のない自信、、、しかし、痛みが慢性化してからでは遅い。今回ばかりは違う。

この痛みが何を指し示しているのか、よく考えた。「今やる」ことを決める。それが未来の自分を守る第一歩だ。

湿布や痛み止めは一時しのぎに過ぎない。

本当に必要なのは、原因を突き止め、適切な治療とトレーニングを組み合わせることだ。そうすることで再発を防ぎ、パフォーマンスを維持できる。痛みは体からのメッセージだ。無視してはいけない。今回の気づきはシンプルだ。痛みを軽視しないこと、後回しにしないこと、そして「カラダは資本」という当たり前の事実を忘れないこと。

あなたは、体の警笛を聞き逃していませんか?

今やるべきことを決める。それが未来の自分への最大の投資だ。

well being それではまた!!