筋肉と事業は同じだった|個人事業主が使い続けるべき理由

個人事業主は、使わないと一気に衰える

今日は膝の調子がいい。
たったそれだけのことなのに、気持ちはずいぶん軽い。

ここ数日は、びっこを引き、手すりにしがみついて過ごしていたのだから、、
その結果、筋肉は正直に、、ストンと落ちた。
「普通にできていたこと」が、普通にできなくなってしまっているので

この感覚、個人事業主には覚えがあるはずだ。

我々は、身体であり、頭であり、そして“事業そのもの”でもある。
会社というクッションはない。
使わなければ、動かなければ減速のスピードは驚くほど速い。

刺激がないと、人はゼロに順応する。何とかしてくれないかと世の中にベクトルが向く、、、思考も、判断も、行動もそちらになびく

恐ろしいのは、それが静かに進むこと。

本当は立ち上がるときに手をつかなくてもいい。
分かっているのに、怖くて反射的に手をついてしまう。

個人事業主も同じだ。

・本当は値上げを検討すべきなのに、怖くて先送り
・本当は新しい分野に踏み出せるのに、今の仕事にしがみつく
・本当は手放した方がいい案件を、収入減が怖くて抱え込む

「転ばないため」に選んでいるつもりが、
実はその”杖”が自分で自分を弱らせている。

守りに入れば入るほど、筋力は落ちる。
筋力が落ちれば、さらに守らないと動けなくなる。

これが、個人事業主が陥りやすい負のループだ。

会社員なら、多少動かなくても組織が補ってくれる。
だが個人事業主は違う。
考えない期間は、そのまま“考えられなくなる期間”になる。
動かない期間は、“動くのが怖くなる期間”になる。

だからこそ大事なのは、万全になるまで待たないことだ。

膝が完全に治ってから動こうとしたら、
その頃にはさらに筋肉が落ちている。

ビジネスも同じだ。
完璧な準備、確信のあるタイミングなど、ほとんど来ない。

少し怖い状態で、少し負荷をかける。
それをやめないことが、生き残る条件になる。

今までの価値観や経験は、確かに自分を支えてきた。
だが、それに縛られ始めた瞬間、
それは武器ではなく足かせに変わる。

「昔はこれで食えた」
「今は無理をしない方がいい」
「そのうち考えよう」

それらは、衰えが始まったサインかもしれない。

個人事業主は、
身体も、頭も、事業も、すべて自分で鍛え続けるしかない。

膝の調子がいい今日だからこそ、そう強く思う。
完全じゃなくていい。
怖さがあってもいい。

ゼロに順応してしまう前に、使う。
立ち上がる。
考える。
動く。

それが、個人で事業を続ける醍醐味なんだろう

well being それではまた!!

不調を長引かせない“ルーチン戦略”|動ける心と身体のつくり方

ルーチンを崩さないことの意味

だからこそ、ルーチンを崩さないことが大事だと思っている。膝の痛みがある時こそ、生活リズムをいつも以上に意識して崩さない。朝はきちんと起きて、しっかり仕事をして、軽くでも運動をする。
そういう当たり前の積み重ねが、思考の“独り歩き”を防いでくれる。

人間は、そこまでシビアな状況でもないのに、自分を勝手に割り引いてしまう生き物だ。「どうせ俺なんて…」と、根拠のない下方修正をかけてしまう。あれは体が止まると頭だけが勝手に走り出すからだ。動きが止まると、余計な考えが増える。

だから気持ちが下がらないようにするには、生活をあまり変えないことだと思っている。

もちろん、生活の中でプラスアルファを入れることも大事だ。
サウナに行く、ジムに行く、軽く散歩する――カラダを起こすフックは、うまく使えばいい。リズムを戻すスイッチを何個か持っておくと、日々の「揺れ」を吸収しやすくなる。

ただ、少し疲れ気味なら昼寝で休息をとればいい。それで十分だと思う。それ以上に特別なことは基本いらない。動けるのが人間だし、動くことで心が整う。

思いっきり活動したいという衝動そのものが、動物としての人間の本性なんじゃないか,,,最近そんなふうに帰着させている
だからこそ、ルーチンを守りながら、その日その日の“動ける分”だけ動く。それだけで、勝手に人生は前に進んでいくのだ

well being それではまた!!

好調と不調はセットでやってくる|人生と事業が安定する“揺れない軸”の作り方

何かが良ければ、何かが悪い。それでも今日を積み上げる

世の中というのは、本当によく出来ていると思っていて,,,何かが良くなれば、どこかが悪くなる。逆もまた然りで、必ずしも一方的ではない。これは今この瞬間だけで見てもそうだし、もう少し長いスパンで眺めてもそうだと思っている

例えば今、まさに膝が痛くて思うように動けない。日常の動作ですら若干ぎこちない。でも、こういうときって余計な力が入らないから、ゴルフのスイングはやけに調子が良かったりする。力みが抜けるとはこのことか、と妙に納得してしまう。

事業でも同じようなことが起きている。当月は売上が非常に良い。仕事の流れも悪くないし、やるべきことが形になってきている手応えもある。一方で資産形成のほうは、グリーンランド情勢の不安や円高の進行などもあり、まったく振るわない。数字は目を覆いたくなるような惨状だ。

ただ、「現実は厳しい」と断じてしまうのも違う気がしている。すべてが辛辣ではないし、すべてが甘くもない。この部分を切り取れば良く見えるし、あの部分を切り取れば悪く見える。だから、一律に評価すること自体があまり意味を持たないのだろう。

結局、どっちとも取れる“今”に、いちいち騒ぐ必要はない。
ただできることは、今日を積み上げることだけだ。

世の中には、自分が影響できない部分が意外と大きい。為替も、国際情勢も、天候も、人の心の動きも。そのすべてを自分一人の力で動かせるわけではないし、それを悩んでも状況は変わらない。

だからこそ、影響できる範囲で今を積み重ねるしかない。
良いことも悪いことも、同時に並存するこの世界で

well beingそれではまた!!

地道な投稿が、ある日まとめて効いてくる理由

発信は本当に届いているのか

コンサルになってから身につけてきた「広報として発信する力」が、
ようやく花を開き始めている感覚がある。

結果が少しずつ、形として返ってくるようになった。
とはいえ、ここで生まれるのは達成感だけではない。

これは本当にサイレントマジョリティなのか。
それとも、実はそこまでサイレントではないのか。
その判断は、思っている以上に難しい。

声が届いている「手応え」はある。
でも、その多くは可視化されない。
数字に出ない反応、言葉にならない評価、
こちらから見えない場所に、確実に存在している気配。

一方で、もう一つの葛藤もある。

自分が「発信したいこと」と、
顧客が「求めているもの」は、必ずしも一致しない。

いくら想いがこもっていても、
顧客のニーズに訴求できていなければ、それは外れる。
逆に、反応があるからといって、
自分が本当に届けたい価値かと言われると、違和感が残ることもある。

問題なのは、その「反応」が
手に取るようには分からないことだ。

数字だけを見れば簡単に判断できそうで、
実際はそうでもない。
静かに読まれ、静かに役立ち、
静かに終わっている投稿も、きっとある。

それでも、結論はシンプルだ。

やっぱり、地道に投稿を続けるしかない。
この世界で通用するのは、結局のところ
継続は力なり、それだけだと思っている。

単に数をこなすのではない。
デザインを磨く。
思考を深める。
伝え方を見直す。

書きながら考え、
考えながら更新する。

発信は、一発で当てるものではない。
積み重ねの中で、
静かに信頼を育てていくものだ。

今日もまた一つ、
届いていると信じて投稿を続ける。

膝を壊して動けなくなったからこそ、今やるべきことだけに集中する話

「普通に歩ける」という奇跡

歩行が困難になるほど、膝の痛みが進んでしまった。
正直に言えば、ここまで来るとは思っていなかった。

いま、身に染みて感じているのは
「普通に歩けること」「通常にしていられること」が、どれほどありがたいかということだ。
失って初めて分かる、という言葉はやはり本当だと思う。

とはいえ、どこか冷静な自分もいる。
今回の痛みは内臓的なものではない。
息をするだけで苦しいとか、じっとしていてもずっと辛い、という種類のものとも違う。

腰や肩のように、
どんな体勢でも逃げ場がない痛みでもない。

「歩けば痛い」
条件付きではあるけれど、逆に言えば
歩かなければ、ある程度は落ち着いていられる。

そう考えると、これは不幸中の幸いなのだと思えてくる。

だったら、もう慌てても仕方がない。
落ち着いて、今やれることをやるだけだ。

通院する。
医師の話を聞く。
治療やケアに集中する。

それ以外のことは、あらがっても仕方がない。
楽しむところまではいかなくても、
ただ受け入れればいい。

今回のことを、前向きに使うとしたら──
体重を落とす、いいきっかけにしたい。

一キロ体重が減ると、膝への負担は数倍軽くなると言われている。
これはもう、やる理由として十分だ。

動けないことを嘆くだけよりも、
「いま出来ること」に意識を向ける。

普通に歩ける日が、また当たり前になるその日まで。
いまは静かに、足元を見つめ直す時間にしたい。