知らないから否定する──その一歩が最も危うい― 無知による拒絶が最大のリスクであることを警告。

AIと共に歩む時代に、私たちはどう立つか

    AIは、もはや遠い未来の話ではない。
    SFの中の存在でも、、、専門家だけの、、、道具でもない。
    今や、私たち一人ひとりが「どう共に歩むか」を問われるフェーズに入っている。

    作業そのものは、AIに任せればいい。
    むしろ、任せるべきだ。
    だが、そこで終わってはいけない。
    本当に問われるのは、「どうコーディネートするか」だ。

    AIは、指示されたことを淡々とこなす。
    文句も言わず、、、疲れも見せず、、、ただ静かに処理を進める。
    だが、そこに落とし穴がある。
    適切なプロンプトを出せなければ、AIは“それなり”にやってしまう。
    しかも、人間のように言い訳もしない。
    ただ静かに、間違うのだ。

    だからこそ、PDCAの「Plan」と「Check」は人間が担うべきだ。
    AIに任せるのは「Do」と「Act」でいい。
    この役割分担が、これからの時代の鍵になる。

    ここで最も危険なのは、「知らないから」「よくわからないから」と言って、AIを否定することだ。
    その態度こそが、最大のリスクになる。
    なぜなら、この流れはもう止まらない。
    好むと好まざるとに関係なく、AIは私たちの生活と仕事に押し寄せてくる。

    だからこそ、私たちはそれを“しなやかに”受け入れたい。
    拒絶ではなく、理解と共存。
    恐れではなく、操縦と創造。

    AIは道具であり、パートナーであり、鏡でもある。
    その存在をどう扱うかで、私たち自身の未来が決まる。

    well being それではまた!!


    思考という名の灯を消さずに― 考え続けることの尊さを、灯火にたとえて。

    我想う、ゆえに我起つ

      日々、様々な相談を受ける中で、よく聞く言葉がある。

      「いろいろ考えてはいるんだけど、実際には動けていないんです…」

      これは、決して珍しいことではない。むしろ、多くの人がその状態にある。考えているのに動けない。頭ではわかっているのに,,,身体がついてこない,,,そんな自分を責める声も聞こえてくる。

      でも、私は思う。

      その状態は、決して“停滞”ではない。

      それは、内なる準備期間だ。

      自分自身も、まさにその渦中にいる。考えてはいる,,,そして感じてもいる、、、でも、まだ動けていない。そんな自分を、以前は「ダメだ」と思っていた。でも今は違う。

      「感じることに従順である」というのは、実はとても誠実な姿勢だ。

      行動に結びついていないからといって、価値がないわけではない。むしろ、考えているからこそ、いつかは動きたくなる。考えていなければ、動きたいという衝動すら生まれない。

      だから、思うことには意味がある。

      「我想う、ゆえに我あり」

      この言葉は、単なる哲学的命題ではない。思考することが、存在の証であり、起点なのだ。思考しているということは、すでに“始まっている”ということ。

      そして、起点に立てているなら、それだけで十分だ。

      今の自分を否定する必要はない。今の自分も、ちゃんと意味がある。むしろ、今を肯定することが、次の一歩への力になる。

      未来には、もっといいことが待っている。

      それは、今の自分が思考しているからこそ、訪れる可能性のある未来だ。

      だから、焦らなくていい。

      今、考えている自分を、誇っていいと思う

      well being それではまた!!


      15分の壁を越えた先にある、すっきりの世界

      中一日の晩酌と、汗でゼロに戻る話

      中一日で晩酌をすると、どうしてもカラダに残る。朝の軽さがどこか鈍って、判断の切れ味が曇る。澱(おり)のように滞留して、ココロの底を重く引っ張る。その重さを言い訳にしても状況は変わらない、、、だから動いてこれを振り切るのだ、、、汗をかく、、、それでいったんゼロに戻すようにしている

      何の運動かにもよるが、カラダが温まる境目はだいたい15分、、、ここまでが遠い。汗腺が開くまでの無音の時間に、やめる理由はいくらでも湧いてくる。けれど、15分を越えたところで急にギアが入る。汗が皮膚の上で小川になり、胸の奥にひそんでいた重りが外れる。

      毎回そうなるとわかっているのに、スタート前はいつもためらう、、、だから決め事をひとつ置く。

      「迷ったら動く」「15分は必ずやる」。これでいい。シンプルで折れない。

      今日は灼熱の打ちっぱなし。マットに立った瞬間に地面から熱が押し上がってくる。まずはウェッジでリズムを刻み、ショートスイングで芯を探る。汗が目に入るころ、ようやく体幹がつながって、クラブと体の動きが同じ拍になる。ミスの形がはっきりして、修正の糸口が見えてくる。球筋が一段落ち着いたときには、頭の中の雑音も薄くなっていた。運動は目的じゃない。リセットの装置だ。クラブを振るたびに、昨夜の残りが一枚ずつ剥がれ落ちる。

      リセットの手段は人それぞれだと思う。私にとっては汗だ。汗が出れば、余計なこだわりや自意識が流れていく。飲むことを否定しない。

      ただ、残るなら流す。足し引きでゼロに戻せればいい。中一日の晩酌が悪いのではなく、残りを放置することが厄介なだけだ。

      手段を持っている自分は心強い。だから恐れずに進めばいい。次に迷ったら、靴を履いて外に出て、タイマーを押す。それだけで十分だ

      今日も一本、芯を食った音が鳴った。あの音があれば、またやれる。リセットは間に合う。何度でもやり直せる。だから、進む。

      well being それではまた!!

      「55歳のフェアウェイ」──同級生と歩いた40年後のラウンド

      40年ぶりの再会とゴルフがくれたもの

      先日、40年ぶりに高校の同級生と再会し、ゴルフをプレーした。
      顔を見た瞬間、昔の面影がふとよぎる。あの頃の空気をまといながらも、互いに55歳という年輪をしっかりと重ねていた。

      そんなイロイロを、ゴルフというレクレーションが不思議と中和してくれた。
      クラブを握り、フェアウェイを歩くうちに、肩書きも立場も年齢もそして40年の月日も、、、少しずつ溶けていくような感覚があった。

      それぞれの組織で活躍している仲間たちの中で、私は一人社長という立場、、、
      時間を創れる自由がある分、スコアで負けるわけにはいかないと、妙な意地も出てきた。
      そんな気持ちも、ゴルフをしていなければ生まれなかっただろう。

      もし、いきなり「同窓会をやろう」となっていたら、空気が微妙になっていたかもしれない。だからまずはゴルフ」という滑り出しは、まるで潤滑油のように場を和ませてくれたのだった

      そう頻繁にあることではないけれど、こんな機会にはまた参加したいと思った。
      そしてふと、10月の前橋祭りのことが頭をよぎる。
      毎年、同級生に会う企画をしていたが、「もういいかなぁ」と思っていた自分がいた。
      でも今回の再会で、「やってみようかな」が芽生えたのは、素直に良かったと思う

      well being それではまた!!

      ゴルフ上達の鍵は“道具との対話”にある:フィッティングで得た安心感

      道具との信頼が、ゴルフを変える

      少しずつ、納得のいくスコアが出るようになってきたゴルフ、、、。結果が出ると、途端に楽しくなる。やればやるほど良くなるという、前向きなサイクルに入っていく。今まさに、その流れの中にいる感じだ

      何よりも大きいのは、ゴルフクラブへの安心感だ。クラブに対する信頼があると、プレーは驚くほどシンプルになるし思いっきり振れる感覚を持てるかどうかのこの安心感は代えがたい あとは自分自身を磨くだけ。余計な不安や迷いが消え、集中力が高まる。

      この安心感は、専門家によるフィッティングによって得られたものだ。本当に自分に合ったクラブを選んでもらえたことで、ゴルフライフが大きく変わったと実感している。やはり、道具は専門家に相談し、吟味することが何よりも大切だ。これはゴルフクラブに限らず、あらゆる道具に通じることだと思う。

      ただし、良い提案を受けるためには、こちら側の姿勢も問われる。どんな目的があって、どんなプレースタイルで、何を求めているのか。そうした背景をきちんと伝えることで、相手も全体像を把握し、より広い視野で提案してくれる。

      今すぐの答えを求めるのではなく、対話を重ねながら、本当にフィットするものに近づいていく。そのプロセスこそが、道具選びの醍醐味であり、結果として自分の可能性を引き出すことにつながる。

      ゴルフは、技術だけではなく、道具との信頼関係があってこそ深まるスポーツだ。今後もこの感覚を大切にしながら、自分自身のゴルフを育てていきたい

      well being それではまた!!