夏の味方たちと歩む残暑厳しい日々

朝の静けさに身を委ねて

日中の熱気がようやく引きはじめる頃、朝方の空気にわずかな涼しさが宿るようになってきた そんな季節の隙間を見逃さず、朝方に30分ほどのウォーキングを始めている。

歩き出すと、じんわりと汗が滲みはじめる。やがてそれは流れとなり、体の奥に滞っていたものが外へと押し出されていくような感覚に包まれる。毒素が抜ける、というよりも、心の澱が少しずつ溶けていくような、そんな清々しさがある。歩数も自然と伸びて、1万歩が苦もなく達成できる。今日もやり切ったという実感が、静かに胸の奥に灯る。

この習慣を、もっと深く根づかせたいと思っている。朝の静けさの中で、自分自身と向き合う時間を持つこと。それは、日々の喧騒に流されがちな心を、そっと整える営みでもある。

日中の暑さは、まだ容赦がない。そんなときは、かき氷が何よりの救いだ。ファミレスで気軽に味わえるのもありがたいし、頭がキーンとするほど冷やすことで、身体の熱も心のざわめきも一気に鎮まる。冷たさが、まるでリセットボタンのように作用する。

そして夜には、芋焼酎の水割りを一杯。氷は買い置きのものを使い、水はミネラルウォーターで丁寧に設える。ぐいっと喉を通るその一瞬に、今日一日の疲れがふっとほどけていく。翌朝の身体が軽いのも、芋焼酎ならではのありがたさだ。

こうした小さな工夫や習慣が、暑さに抗うのではなく、暑さと共に生きる知恵となる。季節の厳しさを受け入れながら、自分のペースで整えていく。そんな日々を、これからも大切にしていきたい

well being それではまた!!

スマホ疲れの正体|個人事業主が選ぶ“意図的な距離”というセルフケア

スマホから少し離れてみるという選択

――個人事業主の性と、交感神経との付き合い方

今日は、いろいろなものから少し距離を置いてみようと思って起床したわけだが、、、
そう思ってはみたものの、、、気づけばパソコンの前に座っている。これも、個人事業主としての性なのだろう。仕事と生活の境界が曖昧な日々の中で、つい“いつもの場所”に戻ってしまう。

それでも、スマホだけは意識的に手放してみたい。これだけで、ずいぶん違うはずだ。
スマホの凝視は、交感神経を過剰に刺激する。疲れの原因は、もう分かっている。決済、音楽、歩数計、連絡手段……生活のあらゆる場面に登場するスマホは、便利であると同時に、常に神経を張り詰めさせる存在でもある。

だからこそ、意図的に距離を取る必要がある。関係を断つ必要はない。
ただ、上手に付き合えばいいのだ。
使うべきときに使い、離れるべきときに離れる。
その選択を自分の手に取り戻すだけで、心身のバランスは大きく変わる。

個人事業主として、日々の仕事に向き合うのは当然だ。
でも、向き合い方は選べる。
スマホとの距離感もまた、自己管理の一部であり 継続させるための重要なファクターになる

well being それではまた!!

季節は巡る、歩みは止めない|猛暑の庭先で考えた“信頼”の本質

歩みを止めずに、今を肯定するということ

――猛暑の中でふと立ち止まり、思ったこと

東京では10日連続の猛暑日が続いているという。週末に向けて、東海や関西もまだまだ暑さの猛威は収まりそうにない。でも日課である早朝に庭へ出て水撒きをしてみると、、、空気が少し和らぎ、風が涼しさを運んできたように感じられてはきている

そう、もうすぐ9月になるのだ。季節は、こちらの都合などお構いなしに、淡々と巡っていく。そんな自然の流れに身を置きながら、ふと「今月、自分は何ができただろうか」と考えてみた。

完璧ではない。改善の余地はまだまだある。だが、歩みは止めなかった。日々、勤めてきた。小さなことでも、前に進もうとする意志だけは持ち続けてきた。

今を否定しないこと、、、これは、簡単なようでいて、意外と難しい。過去の失敗や、理想とのギャップに目を向ければ、いくらでも自分を責める材料は見つかる。けれど、今この瞬間の自分を肯定することができれば、歩みは止まらない。

歩みを止めないこと、、、それが、周囲からの信頼につながる。信頼の先には、もっと大きな可能性が待っている。凡事を積み重ねること。特別なことではなく、日々の小さな選択と行動を大切にすること。それが、未来をつくる。

暑さの中で、少しだけ涼しさを感じた朝。季節の移ろいとともに、自分の歩みもまた、確かに続いている。

well being それではまた!!

ゴルフは年齢を超える|12歳・66歳と同組で感じた競技の奥深さ

前橋市民ゴルフ大会予選に出場してみた――年齢を超えて、同じ土俵に立つということ

競技というほど肩肘張ったものではない。だが、腕試しにはちょうど良い。そんな気持ちで臨んだ前橋市民ゴルフ大会の予選。結果は予選落ちだったが、スコア以上に得たものがあった。

同組にいたのは、12歳の少年。まだ中学一年生。だが、ティーショットの飛距離はすでに大人を凌駕していた。小さな背中から放たれるボールは、風を切ってフェアウェイの奥へと吸い込まれていく。驚きとともに、ゴルフという競技の懐の深さを思った。年齢も体格も関係ない。ただ、技術と工夫と、そして情熱があれば、誰もが同じ舞台に立てる。

もう一人の同伴者は66歳の先輩。シングルハンデの実力者で、当然のように負けた。だが、40歳以上離れていても、同じ土俵で真剣勝負ができることに、敬意と感動を覚えた。ゴルフは、年齢を重ねることがハンデにならない稀有なスポーツだ。むしろ、経験が武器になる。

自分は54歳。まだまだ成長の途中にいることを痛感した。カラダを使うスポーツでありながら、下降線ではない。むしろ、工夫と継続で上昇できる。スコアを安定させる人たちは、例外なく「量」をこなしている。誰に聞いても、週に一度はラウンドに出ている。練習というインプット、ラウンドというアウトプットを短いサイクルで回し、PDCAを回している。

量は、年齢の壁を凌駕し、質を超える。

今回のスコアは最低限には達した。だが、予選通過には至らず。特にパー5とパー3のマネージメントが甘かった。惰性でプレーしていたわけではない。むしろ、余裕がなかったのだろう。判断力も、経験の蓄積があってこそ磨かれる。これも場数を踏めば、自然と身につくはずだ。

やるべきことは、もう分かっている。あとは、やるだけだ。

「捉われることの美しさ」-なかなか進まないプラットフォーム案件を想う

分かっている。
仕方ないことだと。
相手の都合もある。
タイミングもある。

でも、分かっていても、
ココロは、捉われてしまう。

捉われる。
怒りが湧く。
悔しさがこみ上げる。
頭にくる。

それでも、
捉われずにはいられない。

それが人間だ。
それが、わたしだ。

この怒りは、
この悔しさは、
ただの感情ではない。

これは、
爆発的なエネルギーになれる。
推進力になれる。
火種になれる。

思い出す。
全否定された日々。
「意味がない」
「誰も求めてない」
そんな言葉に、
何度も心を折られた。

それでも、
ここまで来た。
そこそこには、来ている。

でも、
こんなもんじゃない。

今こそ、
自分に問いたい。

「お前は、こんなもんか?」
「この程度で満足か?」

捉われることは、
まだ諦めていない証。
まだ、前を見ている証。

だったら、
この感情を、
この怒りを、
この悔しさを、

チカラに変えて、
進もう

well being それではまた!!