煩わしさの中にあった、愛のカタチ

静けさの中で、娘の自立を想う

娘が家を出て、やがて一か月。
日々の暮らしの中で、ふとした瞬間にその不在を感じる。
いつも手の届くところにいた存在が、今は遠くにいる。
それだけで、心にぽっかりと穴が空いたような感覚になる。

けれど、それは彼女が自分の足で立ち、自分の意思で歩き始めた証でもある。
これまで、いろいろなことがあっても、留まることしかできなかった彼女が、
今回は違った。
迷いながらも、自分の選択を信じて動いた。
その一歩を、親としては喜んでやらなければならないのだろう。
寂しさよりも、誇らしさを優先できるように。

娘がいなくなって、家の中は静かになった。
妻と二人の時間は、穏やかで、どこか懐かしい。
妻とは素のままでいられる関係だ。
でも、娘に対しては、やはり「親として」「異性として」
どこか気を使い、格好をつけていた自分がいたことに気づかされる。

食事のとき、「何食べたい?」と聞いたり、
休日には「どこか行く?」と誘ったり、
そんな些細なやりとりの中に、どれだけ自分が気を配っていたか。
時にはそれが煩わしく感じることもあった。
でも今となっては、その“煩わしさ”こそが、かけがえのない時間だったのだと痛感する。

人は、失って初めて気づくことがある。
そしてその気づきは、次に誰かを迎える準備になる。
娘がまた戻ってくる日もあるだろう。
そのとき、変わらずに、いや、少しだけ深くなった自分で迎えられるように。
今は静けさの中で、心を整えておきたい。

well being それではまた!!

意思がある限り、道は拓ける

小僧のままで、スコア80──意思が拓く道

今日のゴルフで、久々に「39・41=80」というスコアを出せた。
スコアはただの記録かもしれない。けれどこのスコアまでいくと、、、自分の中では確かな手応えがあった。
ウッドもアイアンもパターも、すべてにおいて「自分の意思」で打てたと感じられたことが、何よりも嬉しい。
クラブを振るのではなく、自分の意志を通して球を運ぶ。そこに技術以上の意味が宿る。

55歳。
世間では「もう若くない」と言われる年齢かもしれない。
でも、今日のラウンドは、そんな常識を軽やかに超えていく感覚があった。
年齢はただの数字。
やり直すことも、挑戦することも、何歳からでもできる。
それを証明できたことが、スコア以上に価値のある収穫だった。

人はよく「知らないから」「やったことがないから」と言って、道を閉ざしてしまう。
でも、それは本当に“知らない”のではなく、“知ろうとしない”だけかもしれない。
「こういうものだ」と達観してしまった瞬間、思考は止まり、老害の芽が育ち始める。
若い人の可能性を素直に認め、「若いっていいな」と思える柔らかさを持ちながら、
自分自身も「まだまだ勝負できる」と信じていたい。
いつまでも“小僧”であることを、誇りに思えるように。

そして、結果が出ると、もっともっとと内側から興味が湧いてくる。
それは欲ではなく、純粋な好奇心。
その好奇心こそが、人生の流れを加速させる原動力になる。
意思がある限り、道は拓ける。
そしてその道は、年齢に関係なく、いつだって新しく始められるのだ

well beingそれではまた!!

記憶の継承と関心の力──原爆投下から80年を生きる私たちへ

原爆投下から80年——記憶と関心が未来を守る

広島と長崎に原子爆弾が投下されたあの日から、80年の歳月が流れた。あの空が赤く染まり、街が焼け、命が奪われた瞬間を、今も胸に刻み続ける人々がいる。しかしその人々の平均年齢は85歳を超え、語り部の声は年々小さくなっている。やがて、被爆者ゼロの時代が訪れる。

それは、記憶の終わりではない。むしろ、記憶の継承が本格的に試される始まりだ。私たちは、最後の原爆投下国となるべく、この忌まわしい記憶をどう次の世代に手渡していくのか。それは単なる歴史教育ではなく、人間としての倫理と責任の問題だ。

いま、世界はかつてないほど複雑に絡み合っている。ウクライナ侵攻によって穀物の流通が滞り、遠い国の戦争が私たちの食卓に影響を及ぼす。温暖化による異常気象も、もはや「どこかの話」ではない。洪水、干ばつ、猛暑——それらは日常の風景となりつつある。

このような時代において、私たちがまず始めるべきことは「関心を持つこと」だと思う。関心は、無関心という名の沈黙を破る力になる。知らなければ、行動は生まれない。知っているからこそ、心が動き、行動が生まれる。

威嚇し、殺し、奪って得た利益で、世界が良くなるはずがない。それは歴史が何度も証明してきた。共存共栄——この言葉は、理想ではなく、現実を生き抜くための唯一の道だ。互いを理解し、尊重し、支え合うこと。それが、戦争を防ぎ、地球を守り、未来を築く礎になる。

80年という節目に、私たちは過去を振り返るだけでなく、未来を見据えなければならない。記憶を継承するとは、単に語り継ぐことではない。それは、関心を持ち続けること。そしてその関心が、平和への抑止力となり、次の世代の行動へと繋がっていく。

この世界に生きるすべての人が、過去の痛みを知り、今の課題に目を向け、未来の責任を担う——そんな社会を目指したい。

well being それではまた!!

色を塗り始めた日 ― ぼやけた景色の向こうに

夕立と決断の午後 ― ぼやけた景色に色を塗る日

今日も容赦ない暑さだった。 40度を超える気温が続く日々に、身体だけでなく心まで溶けてしまいそうになる。 そんな中、夕方に突然の夕立。 乾ききった空気に水が差され、街の色が一瞬だけ鮮やかに戻ったように感じた。 まるで、張り詰めた時間に「一服しなさい」と言われたようだった。

そして今日、仕事でも一つの節目を迎えた。 ずっと曖昧なまま続いていた関係に、はっきりとした別れを告げた。 それは、感情的なものではなく、静かな決断だった。 「そろそろはっきりさせたい」と思っていたところで、自然と見切りがついた。

何となくの仲で続いていてもはっきりダメということでも売上が伴わなければ、それは「何もない」という意味で同じ。 売上がないという事実は曖昧さと明確さの間にある差を消してしまう。 だったら、はっきりさせた方がいい。 そうすれば、迷いなく前に進める。 もう検討する必要はない。全振りできる。 その潔さが、次の一歩を軽くしてくれる。

ぼやけた景色に、ようやく自分の色を塗れるようになれたのだ それは、誰かに与えられるものではなく、自分で選び取った色だ。 今日という日は、そんな色を塗り始めた「スタートの日」だったと思う。

夕立がくれた一瞬の涼しさと、心の中の静かな決断。 その両方が重なった今日という日を、きっと忘れない。

well being それではまた‼︎

仕掛けるしかない日々の中で、今できることに集中する

緊急ではないけれど、最も重要なことに向き合うということ

「一番重要だけれども緊急ではないこと」──いわゆる“第二領域”に、ようやく手をつけ始めた。そのひとつが、簿記の勉強だ。

日々の仕事や生活の中で、どうしても「緊急なこと」にばかり目が向いてしまう。電話の対応、納期、突発的なトラブル。これらはすぐに手を打たなければならないし、放っておけば問題になる。だから、自然と優先される。

でも、本当に重要なことは、往々にして「今すぐやらなくても困らないこと」の中にある。
簿記の勉強もそうだ。今すぐやらなくても、誰かに怒られるわけではない。けれど、やらなければずっと心の奥でジクジクと痛み続ける。まるで歯痛のように。放っておいても消えないし、むしろ日々の中で存在感を増していく。

この「ジクジクした痛み」は、精神的な負荷となって蓄積される。
「やらなきゃな…」と思いながらも手をつけられない日々は、自己肯定感を少しずつ削っていく。だから、振り切るしかない。やるしかない。

とはいえ、向き合うには体力がいる。
気力も、集中力も、時間も必要だ。だからこそ、後回しにされがちなのだ。

でも、個人事業主にとっては、誰かが道を整えてくれるわけではない。
会社の仕組みも、上司の指示も、マニュアルもない。すべては自分が仕掛けて、自分で整えて、自分で進めていくしかない。だからこそ、今この瞬間に影響できることに集中する。

「今できること」に手をつける。
それが、未来を創る一歩になる。

簿記の勉強もその一石。
今日やった一つのことが、明日の土台になる。
一石一石を積み上げていくことで、今日の建付けが整い、明日の形が見えてくる。

緊急ではないけれど、確実に未来を創るための一歩。
それに向き合い始めた今、少しずつ景色が変わってきている。

well beingそれではまた!!