”おらが街”の未来形──祭りとマルシェの融合点

東吾妻町の夏祭りで見た、“続く祭り 続く街”の新しいカタチ

東吾妻町の夏祭りに足を運んだ。
伝統的な山車や太鼓が鳴り響く中、若手が中心となって企画したマルシェ的なイベントが融合していた。これが実に面白い。

「おらが街」のアイデンティティとして、昔ながらの祭りは確かに欠かせない。だが、少子化と人口減少が進む今、それだけでは人を惹きつける力が弱くなっているのも事実。
そこで登場したのが、“サステなマルシェ”という新しいアプローチだ

「こうしなくては」から「こうしてもいい」へ

マルシェということなら。誰でも気軽に参加できる。
「こうしなければならない」ではなく、「こうしてもいい」「こうしたほうがいい」という柔軟な発想が根底にある。
その空気感が、地域の多様な価値観を受け入れ、巻き込んでいるのだ

資源が価値に変わる瞬間

特に印象的なのは、古紙やアルミ缶といった有価資源を集めて売上を生み出し、それを祭りの賑わいに還元する仕組みだ
誰かにとって不要なモノが、誰かにとっての必要なモノに変わり、それが地域の“必要なコト”につながっていく、、、
この循環が、無理なく、しかし確実に続いていくように設計されている。ここまで研ぎ澄まされた仕組みには、ただただ頭が下がる。

熱量が人を動かす

熱量の高いリーダーがいて、その背中を見て自然と人が集まる。
無理をしない、、、でも本気でやる。そんな空気が、祭り全体に満ちていた。
自分もこの価値の一部になりたい、もっと関わりたい。そう思わせる力があったのだ

well being それではまた!!


ココロを整えるプロがいる──コンサルを使うことの本当の意味

プロスポーツ選手の長寿命化を想う

〜カラダだけじゃない、ココロの強さが未来をつくる〜

かつて、プロスポーツの世界は「肉体の限界」に挑む場だった。激しい競争の中で、選手たちは食事やトレーニングに徹底的に取り組み、専門のコーチがついて体を鍛え上げてきた。今やその成果は明らかで、選手寿命は確実に延びている。

でも、最近の変化はそれだけじゃない。
“メンタルコーチ”の存在が、選手のキャリアやパフォーマンスに新たな光をもたらしている。

メンタルの切り替えは、ひとりでは難しい

勝負の世界は非情だ。どれだけ努力しても、結果は一発勝負の勝負のアヤもあり、、、必ずしも思う通りにはならない。自分の問題だけではないのに自分を全部責める方向へ向かってしまう。
そんなとき、メンタルコーチがいることで、ココロの切り替えが促される。現実に押し潰されそうなメンタルを、そっと支えてくれる存在だ。

ココロが整えば、カラダも自然と動き出す。これはスポーツ選手だけの話ではない。

ビジネスマンにも必要な“メンタルの伴走者”

そう思うと日々戦っているのは、ビジネスマンも同じだ
プレッシャー、成果主義、時間との闘い…。そんな中で、ココロを整えるコーチやコンサルの存在は、むしろもっと気軽に使っていいはずだ

スポーツ選手でいう“メンタルコーチ”のように、ビジネスの現場でも自分の思考や感情を整理してくれる存在がいるだけで、パフォーマンスは大きく変わる。
しかも、相性が合わなければ変えればいいだけ。リスクは小さいし、むしろ試してみる価値の方がずっと大きいと思う

「コンサルを使うなんて恥ずかしい」と思う必要はまったくない。
強靭なスポーツ選手ですら頼っているメンターを、あなたもぜひ使ってみてほしい。

最後に

整えるべきは、まず「ココロ」。
そこが整えば、カラダも創られ、、、仕事も、人生も、前に進める。
そうだと分かれば使うしかないのでは⁈

well being それではまた!!


歯に衣着せぬ時代から、耳にやさしい時代へ——変わりゆく解説者のまなざし

🎙スポーツ解説は“尊重と共感”へ移り変わっている——変わる語り口、変わるココロの距離

最近、スポーツ中継の解説者の語り口に、時代の変化を感じずにはいられない。
かつては「昔はこうだった」「俺の若いころとは違う」「だからこうすべきだ」といったスタンスが主流で、時には辛口というよりも、今の選手やプレーを“否定”するような場面も少なくなかった。もちろん、それはそれでスパイスのような面白さがあり、ズバズバ切る爽快感が時代のニーズと重なっていたことも事実だ。

けれど今は違う。
最近の解説者の語りには、今を認め、今の選手に寄り添う“尊重と共感”のベースがしっかりと根づいているように感じる。否定ではなく、共感だ。そして共に競技を彩る立場としての温かさ。聞いていて「そうだよなぁ……」と自然に頷いてしまうような、そんな解説が増えているのだ。

👥 解説者といえば、元トップ選手や実績十分な方々が多い。
一昔前までは、自分が歩んできた成功体験に照らして、今のプレーをジャッジするケースが目立っていた。それが時に“ディスり”や“揚げ足取り”として響いてしまうこともあったのは否めない。

しかし、今の解説は「選手は一生懸命やっている」という前提に立っている。
指摘や批判はあっても、それが“敬意”の上に成り立っているかどうかで、聞く側の印象は大きく変わる。厳しさと優しさは、対立するものではないのだ。

⏳ この好ましい傾向は、いつ頃から始まったのだろうか。
はっきりした起点は見えないものの、SNSの普及や、個人の声が可視化される時代になったことも関係しているかもしれない。多様な視点を尊重し、誰かを“下げて”自分を“上げる”手法は、もう響かなくなったのだ。

“今を否定しない”——その姿勢があるだけで、言葉の強さは包容力へと変わる。
そんな解説に出会うたび、私は「そうだなぁ……」と自然に共鳴する。
スポーツの楽しみ方も、時代と共に進化しているのかもしれない。

well being それではまた!!


坂本選手の修正申告から考える—個人事業主の経費と自己責任

最近ふと思い出した、少し前に話題となったジャイアンツの坂本選手による修正申告の話題、、、銀座の高級クラブでの支出が「必要経費」と認められず、個人的支出と判断されたという報道は、表面的なラグジュアリー感だけを切り取られてしまい、とても残念に感じている。

まず前提として、坂本選手のようなトップアスリートには税理士がついている可能性が高く、計上の判断も専門家の指導のもとで行っていたと考えるのが自然だ。だからこそ、今回の件を彼個人の倫理観に結びつけるのは乱暴だと思う。

さらに印象的だったのは、親族の方が「社会通念上理解されない」とコメントしたこと。たしかに感覚的には「贅沢しすぎでは?」という声もあるかもしれない。でもそれは本質ではない。プロ野球選手は個人事業主であり、何より「カラダが資本」。一度のケガや病気がキャリアを断つ可能性もある中、毎日を全力で生きている。明日の保証なんて何もないのだ。

そういう生き方をしている人に対して、「呑みに行くなんて」「遊ぶなんて」と批判するのは、あまりにも片面しか見ていない。「飲んでやる」というドロドロした欲望が彼らの原動力になっている側面は否定することではない。誰かの評価を気にして節制ばかりしていたら、パフォーマンスにも影響するだろう。そこにはちゃんと自己責任の哲学があるのだ。

ただし、税法は厳然として存在する。だからこそ、これからは「どうやって計上するか」の手法には注意を払ってほしい。ルールの中で自由をどう確保するか、それがプロとしての矜持にもつながる。

自分はというと、ストック型の安定した働き方をさせてもらっている立場から、こういった消耗型の生き方には尊敬の念しかない。坂本選手をはじめ、全てのプロスポーツ選手には、飲んでも遊んでも、心から「素晴らしい」と言いたい

well being それではまた!!


真夏バテから見える事業と自分の守り方

☀️真夏の暑さはもう“気温”じゃなくて“リスク”だ

連日、暑すぎる。丈夫なはずの自分でも、完全に夏バテだとわかるほどダルさがまとわりついてくる。この暑さ、もはや気合や根性で片付ける問題じゃない。事業を続けていく上で無視できない“リスク”だ。

ちゃんと暑さ対策をしてる事業者と、「まあ昔から夏は暑かったし」で済ませてる事業者、、、この差が、今後の信用に確実に影響する。取引先が期待する「今とこれから」に応えていくには、「昔からこんなもん」じゃ済まされない。

時代は変わってるのだ。気温も、働き方も。

事業者はその認識を持つべきだし、個人もそう。カラダの声にもっと耳を傾けるべき。しんどくなってから休むんじゃ遅い。自分は就業時間に縛られてないからこそ、早朝の涼しい時間帯をうまく使って、少しずつこの夏を乗り切っていくつもり。

ムリはしない。でも止まらない。この暑さを“いつものこと”で流さず、自分なりにちゃんと向き合っていく。そんなスタンスでいこうと思う

well being それではまた!!