楽しかったから始まる環境教育 子どもたちに伝わる授業の本質

楽しかった、、、そこからしか始まらない

環境教育事業に関わっていると、いつも感じることがある。

人が動くきっかけは、正しさではなく楽しさなのではないかということだ。

ある就業先で展開している環境教育の現場でも、それをつくづく実感している。

環境問題や資源循環、そしてリサイクル。これらは決して新しいテーマではない。むしろ今では、誰もが「やった方がいい」と理解しているし、実践したいと思う人も増えている。リサイクルをすること自体に抵抗感を持つ人は少ない。

しかし、その一方で大きな壁もある。

分かりにくさと難しさだ。

何をどこまで分別すればいいのか。本当にリサイクルされるのか。汚れていても大丈夫なのか。そんな疑問や不安が行動を止めてしまう。

私はこれまで何度か書いてきたが、リサイクルは決して単純ではない。だからこそ、実際を知っているリサイクラーの役割は大きいと思う。

「ここまでは大丈夫」 「これは難しい」 「そこまで神経質にならなくてもいい」

そんな許容の線を分かりやすく伝えることができれば、難しさはずいぶん軽くなる。

特に子どもたちに対してはそうだ。

子どもは理屈だけでは動かない。

もちろん分かりやすさは大切だ。しかし、それ以上に大切なのは最初の体験だと思っている。

授業が楽しかった、、、

まずはそれでいい。

今日の授業は楽しかった、、、

その感覚こそが、次に話を聞こうという気持ちにつながり、やってみようという行動につながっていく。

逆に、どんなに大切なことを伝えようとしても、受け入れる準備ができていなければ届かない。

伝えたいことを伝えるためには、まず受け入れ態勢をつくってもらうこと。

その入口が「楽しかった」なのだと思う。

今日も子どもたちからたくさんの反応をもらった。

環境問題を理解してもらうことも大切だが、その前に「また来てほしい」「また聞きたい」と思ってもらうことの価値を改めて感じた。

楽しかった。

そこからしか始まらない。

そして、その楽しさの先に、未来の行動変容があるのだと思う。

なぜ焼却ごみは減らないのか?大阪の焼却場ひっ迫が示す資源循環の課題

大阪市の舞洲工場といえば、まるで宮殿やテーマパークのような独特のデザインで知られている。その大阪のごみ焼却場が、いまひっ迫状態にあるというニュースを目にした。

大阪市、八尾市、松原市、守口市のごみ処理を担う「大阪広域環境施設組合」は、「各工場のごみの貯留場所がほぼ満杯となっており、ごみの処理が追いつかない状況になりつつある」と公表した。

定期整備による停止に加え、故障による停止も重なったことが要因だという。行政としても他自治体への受け入れ要請など対応を進めているようだが、このニュースを見て改めて考えさせられた。

それは、「分別」や「リサイクル」が社会に浸透したと言われる時代であっても、まだまだ多くの人が何を焼却ごみから抜けばいいのかを十分に理解していないのではないか、ということだ。

サーキュラーエコノミーという言葉は一般的になった。

資源循環への関心も高まっている。

それでも現実には、「とりあえず燃えるごみに入れてしまおう」という行動は少なくない。

特に地域コミュニティとの接点が少ない都市部では、その傾向が強くなるのかもしれない。

自治体ごとに分別ルールが異なることも影響している。

もちろん細かな運用ルールは違う。

しかし、資源として活用できるものを焼却せず循環させるという基本的な考え方はどこの自治体も大きくは変わらない。

ところが住民から見ると、「地域によってルールが違う」という印象だけが強く残る。

すると迷った時に「確実に回収してもらえる焼却ごみへ」と流れてしまう。

これは自治体の広報不足だけの問題ではないと思う。

むしろ、私たちリサイクルに関わる事業者自身がもっと発信しなければならない。

現場を知っているのは誰なのか。

実際に回収された資源がどのように再利用されているのかを知っているのは誰なのか。

第一当事者であるリサイクラーではないか。

「資源循環が大切です」

「サーキュラーエコノミーを推進しましょう」

そうした発信ももちろん必要だ。

しかし、生活者が本当に知りたいのはそこではない。

もっとシンプルだ。

何を抜けばいいのか、、、

何を分ければいいのか、、、

何を資源として出せばいいのか、、、

というその答えだ。

すべてを完璧に分別してくださいという話ではない。

現実的ではないからだ。

しかし、焼却ごみの中から資源として活用できるものを一つでも二つでも抜くだけで状況は変わる。

段ボール。

新聞紙。

雑誌。

紙パック。

衣類。

金属類。

使用済み小型家電。

自治体によって違いはあるものの、こうしたものが焼却ごみに混ざり続けることは本来避けられるはずだ。

リサイクラーは「回収された後」の世界を知っている。

だからこそ、「これがこう生まれ変わる」という実例を伝えることができる。

その役割は自治体だけでは担いきれない。

現場で資源循環を支えている私たちだからこそできることがある。

焼却場のひっ迫は設備の問題でもあり、運営の問題でもある。

しかし同時に、社会全体の資源循環のあり方を映し出す鏡でもある。

焼却能力を増やすだけでは根本解決にはならない。

資源として循環できるものを社会全体で少しずつ抜いていくこと。

そのために必要なのは難しい理論ではなく、誰もが行動できるシンプルな情報発信だ。

「これは燃やさなくていい」

「これは資源になる」

そんな分かりやすいメッセージをもっと増やしていきたい。

焼却炉の中に眠る資源を掘り起こすために。

そして資源循環を理想論で終わらせないために。

いでよ、真のリサイクラー。

現場を知る者が、もっと前に出る時代なのだ。

評価は相対、記憶は永遠――白鵬翔という存在

―終わりと始まりのあわいにてー

白鵬翔が相撲協会を退職した。歴代最多45回の優勝を誇る大横綱が、土俵を離れてなお相撲界に身を置いてきたが、その歩みもここで一区切りとなった。

発端は、自らが招いた不祥事にある。だが、処分の重さは異例だった。部屋預かりという形での処遇は、単なる懲罰を超えた何かを感じさせる。処分の基準が曖昧であるがゆえに、彼の立場は長く宙づりにされた。そこにあったのは、制度の不透明さと、白鵬という存在の大きさゆえの戸惑いだったのかもしれない。

もちろん、原因を作ったのは彼自身だ。だが、それでもなお、じくじたる思いがあったのではないかと想像する。己の過ちを認めつつも、納得しきれないことが胸に残っていたのではないか。しかしこの段階での退職は、むしろ幸運だったとも言える。傷が浅いうちに離れることができたのだから。

長く逗留すれば、傷は深まる。関係性は摩耗し、やがては断絶する。私自身、似たような経験をしたことがあるからこそ分かる。離れることでしか守れないものがある。再出発は、距離を取るからこそ始まれるのだ。

白鵬は、誰よりも努力した。あの記録は、偶然や才能だけでは成し得ない。ただ相撲が神事であるという側面を、どこかで軽んじてしまったのも事実だ。勝ちにこだわるあまり、形式や伝統を後回しにした瞬間があった。だが、それもまた、一つの道を極めようとする者にとっては避けがたい「抜け」なのかもしれない。

人は一部を見て、全体を語ろうとする。だが、強みは時に弱みにもなり、弱みは見方を変えれば強みにも映る。評価とは常に相対であり、絶対ではない。

白鵬翔という存在は、相撲界にとって光でもあり、影でもあった。だが、その両面を併せ持ってこそ、人は深みを持つ。これから彼がどのような道を歩むのかは分からない。だが、一人の相撲ファンとして、その歩みを静かに見守りたいと思う。

新たな舞台で、彼が再び輝くことを願ってやまない。

well being それではまた!!


心に生き続ける背番号3

稀代のエンターテーナー、長嶋茂雄さんへ

長嶋茂雄さんが旅立たれた。誰にしも訪れるこのトキがきてしまった、、、残念で仕方がない思いが胸にあふれる。

長嶋さんは、ただの野球選手ではなかった。守備も、バッティングも、走塁も、すべてが「魅せる」ためにあった。観る者の心をつかみ、驚かせ、笑顔にし、時に涙させる。そんなプレーを、いつも全力で届けてくれた。

「ファンあってのプロ」——その言葉を、誰よりも体現していた人だと思う。どんなときもファンの存在を忘れず、球場の空気を読み、期待に応え、そして超えていく。まるで舞台の主役のように、野球という舞台で輝き続けた。

そして、何よりもその人柄。明るく、優しく、ユーモアにあふれ、誰に対しても分け隔てなく接する。万人を愛し、万人に愛された人だった。見ているだけで勇気をもらえる、そんな存在だった。

長嶋さん、本当にありがとうございました

リアル世代でない自分にもあたたかい影響を発して頂きました

あなたが残してくれた数々の瞬間は、これからもずっと心の中で生き続ける。

どうか、どうか安らかにお眠りください。

well being それではまた!!


リサイクルの理想形──水平循環が問いかける、私たちの視点

「水平リサイクル」が未来を変える──オリックスの挑戦と、私たちが問われる視点

2025年6月、オリックス株式会社とオリックス環境株式会社は、集合住宅の改修や解体工事で発生するアルミサッシを対象に、アルミ窓全体の「水平リサイクル」を実現する新たな取り組みを発表しta

https://www.orix.co.jp/grp/company/newsroom/newsrelease/250602_ORIXJ.html

水平リサイクルとは何か?

「水平リサイクル」とは、使用済み製品を原料として、再び同じ種類の製品を製造するリサイクル手法になる 今回のケースでは、回収されたアルミサッシとガラスを分離し、それぞれが再びサッシや建築用板ガラスとして生まれ変わるのだ

この手法は、単なる「再利用」ではなく、まるっきり元の用途に戻すという点で、私たちが理想とするリサイクルの姿に最も近いものになる

「遠くでリサイクルされている」から「目の前で循環している」へ

これまでのリサイクルは、どこか遠くの工場で処理され、何に生まれ変わったのかもわからない──そんな「見えない循環」が主流でした。しかし、オリックスの取り組みは違う。目の前の窓が、また窓として戻ってくる。この「見える循環」こそが、消費者の共感を呼び、信頼を得る鍵になるのだ

「業界の事情」はもはや通用しない時代へ

過剰在庫を「ブランド価値を守るため」として廃棄してきた企業が、いまやSNSで叩かれる時代だ。業界特有の事情や慣習は、もはや免罪符にはなりません。リサイクル業界も例外ではなく、どれだけ一般消費者の目線に近づけるかが問われているのだ

リサイクルは「人間の根源的な欲求」に応えるもの

「もったいない」「捨てたくない」「また使いたい」──これらは人間の根源的な感情です。リサイクル事業者がこの感情にタッチできるかどうかが、これからの選ばれる条件になるだろう

オリックスのように、循環のストーリーを見せることができる企業こそが、これからの時代に支持されていくのではないだろうか

well being それではまた!!