モヤモヤに意味を与えないという自由

モヤモヤが止まらない――それでも赦すという選択

モヤモヤが止まらない。
こんなことがあった、、、あんなこともあった、、、確かにそうとも言える。
でも、冷静に考えてみると、就業している彼らとはバックグラウンドが違う。私は就業していない。だから、言わば「チラッと瞬間的に関与している」だけだ。その断片的な印象で、全部を判断することはできない。

それでも、心の中で「あーーー」と諦めたり、猜疑心で見てしまうことがある。
なぜだろう?
たぶん、自分の立ち位置が曖昧だからだ。外から見ているのに、内側の空気を感じてしまう。そのギャップが、モヤモヤを生む。

社内を回遊する人たちは、仕事以外にも動きにくい環境を抱えている。私はそれがない。ここに圧倒的な差がある。だからこそ、見えている景色も違う。
彼らは日々の業務に追われ、組織のルールに縛られ、時には人間関係に悩む。私はその中にいない。だから、瞬間的な関与で見えた断片だけで、全体を決めつける必要はない。

でも、人間って不思議だ。
一瞬の違和感で、全部を否定したくなることがある。
「あの態度は何だ?」
「この仕組みはおかしいんじゃないか?」
そんな思考が頭をよぎる。
でも、それは違うんだと思う。そこにこだわらなくていい。
それこそ“赦す”ということなんだと思う。

赦す――それは、相手の過去や状況を理解することじゃない。
むしろ、自分の中のこだわりを手放すことだ。
「こうあるべき」という思い込みを捨てること。
そして、次に進むための選択だ。

モヤモヤは、きっと完全には消えない。
でも、そのモヤモヤを抱えたままでも、赦すことはできる。
赦すことで、自分の視界が広がる。
赦すことで、相手の景色も少しだけ見えるようになる。
そして、何より、自分が楽になる。

だから、今日も思う。
「赦す」という選択を、忘れないようにしよう

well benig それではまた!!