この瞬間を掴み取るのだ!!

今こそ自己投資に向ける時だ,,,

トランプショックに翻弄される今、自分もその影響をまともに食らっていた ただ、これはただの逆風じゃないのかもしれない、、、今こそ「事業の売上を伸ばすために本気で動け」という強烈な雷が落ちているのだと受け取っている このように状況がどう変わろうと、最も確実性が高く、自分自身の意志を最大限に活かせるもの、、、それが自己投資だ 

他の誰かに期待するのではなく、自分の未来を切り開くために、自分自身に賭けることが出来る

だが、「NO PAIN, NO GAIN」、、、楽をして結果が出るはずがない 先に苦しみを受け入れ、その痛みを成長の糧に変えなければならない それを分かっていても、人はどうしても楽な方へ流される 痛みを伴う選択は後回しにして今をごまかし忙しくして正当化してしまう これまではそこそこ満足できる状態であったから「まだいいか」と言い訳しながら動くことを避けてきた 

だが、そんな生ぬるい考えは、もう終わりにしなくてはだ 

今こそ、本気で打ち込むべ時がが来た。

そして自分自身の体重だ これはすべての象徴だ。怠慢、後回し、惰性、、、その結果が、これだ 酒量を減らすのが最も即効性があるのは分かっている。そして、その時間を自己投資に充てることができるのも分かっている 

だったらやるべきことは明白だ 

整った条件を前にして、動かなければ、何も変わらない 頭で分かっているのに、行動が鈍かったのが今までの自分だった

すべてのタイミングが揃った。変わるなら、今しかない。ここで踏み出さなければ、この先も同じことの繰り返しになる。そんな未来は願い下げだ。命を燃やし、限界を突破しようとした 

この瞬間を全力で掴み取る それ以外の選択肢がない今だからこそ

well being それではまた!!

池袋暴走6年に想う

誰も得をしない、、、

池袋暴走事故から6年が経った 奥様とお子さんが亡くなられたあの痛ましい事故は、今でも心に残している 高齢の加害者による運転が物議を醸し出し、多くの人々に衝撃を与えた

遺族の方が言っていた「やっぱり悲しい。誰にもして欲しくはない」という言葉は、誰にも被害を受けて欲しくないという強い願いであり、また加害者側にもなって欲しくないという切実な思いだった。加害者側も、自分がしたこととはいえ、人生が大きく変わってしまう。本当に誰も得をせず、関係者全員が損をするのだ 

だからこそ、ハンドルを握るという行為がいかに重大な責任を伴うのかを改めて考えさせられる。車の運転は快適な生活に欠かせないものだが、衰えたらハンドルを握ることはできないのだ 54歳の私でも、免許更新のチェックでは一回では通らない項目があった。年齢による衰えは誰しもに訪れ、そして確実に進行する。このことは肝に銘じておきたい。

人それぞれで状況や状態が異なるにしても、この年齢になったら免許を一斉に返納することも一つの選択肢かもしれない ただ、移動がしにくくなると生活が狭くなり、活力が大きく低下してしまうことも確かだ。そういう難しい面もあるが、万一の事故と比較した時のリスクの比較はどうだろうか 免許返納で不便にはなるが代替は出来る 事故の方は取り返しはつかないということは踏まえたい

とにかく、このような必然の事故は絶対に防ぎたい。そう強く思う契機となった

遺族の方には残された人生を心安らかに過ごして頂きたい あなた様が伝えようとしていることは多くの人の糧となっております

well being それではまた‼︎

尊重と共感であるからこそ本質が見えてくるのだろう!!

やっぱり仕組みの問題である

物事を進めようとするとき、あるいは予期せぬ問題が発生したとき、私たちはどうしても「人」にフォーカスし過ぎてしまう傾向がある どの環境で取り組み、どの人とともに行うかは確かに重要な要素ではある しかし、その選択をした後に問題が生じた場合、責任や原因を人に押し付けるのではなく、より冷静に現実を見つめる必要があると思っている

結果がうまくいかない、あるいは達成できないとき、感情に左右されるのではなく、何が本質的な課題なのかを分析したい そうしたときに見えてくるのは、表面的な問題ではなく、その奥にある「技術」や「仕組み」の圧倒的な不足という現実である。もし技術や仕組みが不十分ならば、それは訓練によって習得できるし、適切な設計によって補うことができる つまり、問題をシンプルに捉え、体系的なアプローチを取ることで解決へと導くことが可能なのだ

しかし、もし問題が「人」に帰結するのであれば、その人の対応に委ねられる形となり、メンバー側は感情的にもなりついには思考停止に陥ってしまう そうなると、進展はその人次第となりチームが動かなくなってしまう  だからこそ、「今、自分たちが能動的に解決できることは何か?」と問い、動ける思考へとシフトしていくことが必要なのではないか。

比較と批評⇒”尊重と共感”をベースに

物事を見つめる際、比較や批評の視点では本質に迫ることは難しい 重要なのは、尊重と共感をベースにして物事を見ることであり、その姿勢を持つことで、より深い部分にある本質が見えてくる

そうして導き出された建設的な改善策があれば、現状を「まあ、仕方がないか」と達観しむしろ心穏やかになれる そうすればただ現状に悲観的になるのではなく、「むしろ、事実や現実が明らかになったことがよかった」と前向きに捉え、次のステップへと進むことができるのではないだろうか

私たちの考え方ひとつで解決への扉は開く

あくまでにシステム不全を疑い 人は変わっていけると信じて進みたい

well being それではまた!!

相手さまの行動遷移があってこそ実を成すのだ!!

セッションの時間をとれば…

昨日の気づきをさらに掘り下げてみた研修の在り方について考えたとき、これまでの研修がいかに「コーチング」になっておらず、「ティーチング」に偏っていたのかが分かった。

ティーチングとは、あらかじめ答えを提示し、それに従って行動を促すもの、、、一方コーチングは、答えを教えるのではなく、「在り方」や「考え方」を示し、自らの気づきによって行動を促すものだ

どちらも学びの手法ではあるが、その本質は全く異なる。

しかし、講師側がこの違いをしっかり認識し、コーチングの姿勢で研修を進められているかというと必ずしもそうではないと思った これはコンサルティングの場面でも同様だ。コンサルも一定のヒアリングは行うが、最終的に自分のスタイルに相手をはめ込んで進めようとするケースは少なくない その結果、相手が完全にその枠組みに適応できず、どこか違和感を抱えたままになってしまう。

でもそれは仕方ない」「成果が出るか出ないかは相手側の問題」と割り切ってしまうことがある そんな姿勢が積み重なることで、コンサルティング全般に対するネガティブな評価が増えてしまっているのだ

ここで改めて考えたいのは、「コンサルティングも研修も、自分のためにやっているのではなく、相手のために提供しているものだ」ということ。その視点を持つ限り、最も重要なのは「膝を折り、目線を合わせること」。相手に寄り添い、その立場に立つことで、本当に必要な支援が見えてくる。

とはいえ、これは非常に忍耐のいることでもある なぜなら、相談をしてくる人はすでに問題の渦中にあり、混乱している状態だからだ 冷静に状況を整理する余裕などない。だからこそ、第三者の目線として「コンサル」という存在が必要になる。

コンサルタントとしての基本姿勢は「あくまでも相手に合わせること」。ただし、単に迎合するのではなく、尊重と共感をもって関わる相手を選ぶことも大切だ。無理をしても効果が生まれないケースもあるため、適切な距離感と関わり方を見極めることが重要になる。

いい意味でスタンスを崩さず、いい意味で協調しながら進めていくことができれば、「救い出せる人」はもっと増えるはずだ。

この考えを胸に刻み続けたい それこそが私が起業した理由なのだから

well being それではまた!!

学びと現実を掛け合わせることが出来るようにしたいものだ!!

届いてこその意味を成すのだ

先日、研修を受講してくださった方から「今まで受けた研修の中で最も良かった」とのレビューをいただいた もちろん、私の研修が本当にそこまで良いものだったのか、、、と思いつつ、、、ポジティブなフィードバックというものは、やはり心を大きく揺さぶるものなので素直に受け止めたい そんな言葉をいただけたことに感謝している。

そこでふと思った。「なぜ、今回の研修がそう評価されたのか?」研修の形態を振り返ると、今回の研修は少人数だった。そのため、受講者とより深くコミュニケーションをとりながら、セッションを展開することができた。その結果、一人ひとりが自身の課題と、研修のコンテンツをより実践的に理解できたのではないだろうか。

そもそも研修を受講しようとする方は、何かしらの課題を抱えている。しかし、講師側は通常、あらかじめ決められたメニューを提供することが多い。その結果、受講者と講師の間にギャップが生まれてしまう

「話の内容は理解できたけれど、具体的に自分の課題にどう役立つのか?」

「精神論は分かったが、では現実の場面でどう応用すればいいのか?」

そうした疑問に対する答えが届かないことが、多くの研修の課題だったように思う

だからこそ、研修の最後にフリーセッションの時間を設けることが有効だと感じた その場で具体的な実践方法を考え、研修の内容を単なる知識として終わらせず、各自の「在り方」として生かしてもらう それによって、受講者が自分のらしさの選択肢を広げることができるのではないか

研修はあくまで手段でしかない その学びを、現実に活かすことができなければ意味がないのだ 講師側もただ一方的にスピーチをするのではなく、受講者に実践してもらい、そのプロセスを共に築いていくことが求められているはずだ

私が提供する研修は、単なる学問の伝達ではなく、現実と学問を結びつけるためのものだ しかし、講師側が一方的に知識を伝えるだけでは、受講者にとって「学びの実践」が不十分なものになってしまう そのため、研修の方法について改めて考えることが重要なのだと今回の経験を通じて再認識した 

この気づきを得られたことは、今後の研修活動にとって大きな意味を持つだろう。

改めて、今回の研修を通じて得られたフィードバックに感謝したい 今後も毎月 群馬県庁で研修を実施する予定なので、この気づきをしっかり意識しながら取り組んでいこうと思う 

そして今は、オフラインでの研修の可能性についても模索している。ワークを伴う実践型の研修はオンラインでは難しい部分もあるが、新たな選択肢として検討する価値はあるかもしれない。選択肢を増やしながら、自分自身もさらに成長していきたい

well being それではまた!!