目的を霞めてしまった学びにもう一度火を灯してみよう

NLP心理学を学んで一年——問い直す、その意味

NLP心理学の講座を受けてから一年が過ぎた。

知識は得た、、、理論も理解したつもりだった。けれど、日常に落とし込めていない、、、使えていない。そんな現実が、静かに、しかし確かに目の前にあった

時間も費用も、それなりに投じた。にもかかわらず、活かせていない。選択肢として「使わない」はないはずなのに、なぜかその方向に流れている。そんな中、「NLPをどう活かしているかを発表してほしい」という機会が舞い込んできた。

正直、これはいいきっかけになると思った。嫌でも勉強し直すので、、、けれど、実際は記憶が薄れ、資料作成に手こずる日々だ 何度も「今からでも断ろうか」という囁きに引き込まれそうになった。

それでも、ふと立ち止まる。

NLPとは、自分の中に書かれたプログラムを、自分の意思で書き換えるための学問だった。そして、そのためのリソースは、すでに自分の中にある。今見えている世界、感じている感覚は、ほんの一部に過ぎない。見方を変えれば、感じ方も変わる。選択肢は広がれるといったものだ。

そうだった、、、だからこそ、学びたいと思ったのだ。

誰かのためではない。自分らしく生きるために。自分の人生を、自分の手で選び取るために。

目的、目標、手段——それらを定めることがスタートだったはずなのに、日常の中で曖昧になっていた。流されていた、、、今回の発表は、そんな自分に立ち返るための機会なのかもしれない。

「本当は、どうしたいのか?」

その問いに、もう一度向き合ってみる。

——その答えは、また明日。

well being それではまた‼︎

打席に立とう 今すぐに

動いてないのに変わりたい?それ、無理筋だろ、、、

土曜、目一杯動いた。全力で。だから日曜は二度寝して昼寝が出来て、、、しっかり回復できた。これが「動いた者の特権」だ。動いたから休める。動いたから整う。動いたから、次に進める。

何もやってないのに何かを得られることはない 当然成功には辿りつきようがない。失敗ってのは、何もしてないことの結果だ。しかも厄介なのは、「やってるつもり」になってること。今と向き合わず、未来だけ見て、、、日々を忙しくさせて動いたふりしてる。それ、行動じゃない、、、浪費だと思うよ

浪費の行動は全然蓄積にならない だから自己肯定感も上がらない。故に新しい自分にも出会えない。だって、動いてないんだから。出会いようがないわけだ

成功したいなら、まず「今の自分」とガチで向き合え。そこからしか、本物の行動は始まらない。誰かが先に動いてくれるのを待ってる?それ、いつまで続けるつもりなの、、、

「誰かが悪い」はもういい。それだから 自分が動かない理由にするのは終わりにしよう そこにエネルギーを使えるから動かないが正当化される。

今の状況を変えたいなら、動きましょう 動けば変わる。動かなければ、絶対に変わらない。

打席に立て。今だ。やってこい今すぐに 新しい球はどんどん来ているのだ 後は自分次第です

well being それではまた‼︎

湧いてこない夜に受け入れる選択を〜

研修前夜、まだ湧いてこないものと向き合う

研修の前日、、、

それなのに、まだ資料がはっきりと形になっていない。

こんなこと、今まであっただろうか。いや、たぶん初めてだ。

でも、これは悪いことばかりじゃない。

事業としてやるべきことの「輪郭」が、ようやく見えてきた証かもしれない。

逆に言えば、これまではまだ曖昧だったということ。

だからこそ、今はまだ「湧いてくるもの」が薄いのだろう。

そんな中、右手の甲に痛みが走る。

腱鞘炎?それとも、まさかの痛風?

思わぬところで、身体がブレーキをかけてきた。

変えられないものは、受け入れるしかない。

まずは風呂に入って、さっぱりしてみよう

この暑さだ。エアコンも遠慮なく使おう

それでもまだ湧いてこなければ、一度寝てしまえばいい。

きっと、回復する。

今、できることに集中する。

そして、どうにもならないことは「仕方ない」と手放す。

そうやって、また次の一歩が見えてくるはずだ。

well being それではまた‼︎

インプットは日常にアウトプットは習慣にー研修作りの気づき

湯船でリセットされた頭から、研修コンテンツが湧き出た夜

風呂に入ると、頭の中が一旦リセットされる。

その瞬間、ふと研修コンテンツのアイデアが湧いてきた。

「あ、これだ」と思ったら、手が止まらない。気づけば夜22時、ギリギリ間に合った。

ただ、印刷のインクジェットが残量ギリギリ。

「もっと前から準備しておけば…」と反省しつつも、間に合ったことに安堵。

やっぱり、余裕があれば「こういう内容です」と自信を持って出せる。

毎月定型的にやっているからこそ、「また同じ?」と思われがち。

でも、少しずつでも変化を加えれば、「またやってるんだ」と思ってもらえるし、マンネリも防げる。

インプットは日常に溢れている。

あとはアウトプットを日常に置くこと。

もう少し早いサイクルで回していければ、もっと良いものができるはず。

そんなことを考えていたら、武者震いとともに早朝に目が覚めた。

今日も始まる。さて、頑張っていこう。

社内の限界を超えるために、コンサルは存在するのだろう~~

コンサルの本質は、、、やってくれないからできないでは終わらせない

コンサルタントはプレイヤーではない。だからこそ、社内の人間が動いてくれて初めて、プロジェクトは前に進む。フィードバックがあってこそ、改善の余地が見えるその会社さん用に進むのだ

だが、「動いてくれなかったからできなかった」という言葉には、どこかで責任の所在を外に置こうとする甘さがある。確かに、理屈としては通る。だが、それで終わってしまえば、その会社はtだそこで止まるしかない。

そもそも、社内のピースだけでは完結しないからこそ、こちらに依頼が来ているのだ。社内の人間が怠けているわけではない。むしろ、荷が重すぎるのだ。だからこそ、自分が呼ばれている。

「やってくれないからできない」と言ってしまえば、それで終わる。誰かのせいなのか、、、いや誰も悪くないのにだ

だったら、自分がそのミッションに踏み込んだほうが早い。そう思う。自分が動ける範囲を広げることは自分にとっても価値がある。

踏み込むことにリスクもあるのかもしれない、、、だが、踏み込まなければ、何も変わらない。

ありがたいことに、今は自分のペースでやらせてもらっている。だからこそ、自分を自分で焚きつけなければならない。誰かのせいにしても、最後に残るのは「できなかった」という事実だけ、、、

”自分しか救えない”そう思っているなら、もっと踏み込まなければならない。誰かが動くのを待つのではなく、自分が動く。そこにしか、突破口はない。

well being,それではまた!!