レストアのチカラ、、、過去と現在そして未来を繋ぐ手段〜

古き良きモノを見直す手段、、、

レストアとは、単なる修理ではなく、古いものに新たな命を吹き込むこと。那須烏山市では、オートバイ「メグロ」のレストアを通じて、地域の魅力を発信している

https://www.yomiuri.co.jp/local/tochigi/news/20250527-OYTNT50000/

この取り組みは、技術的な作業を超え、歴史や文化を尊重し、未来へとつなげる重要な役割を果たしている。

レストアの最大の魅力は、古き良きモノを大事にするという精神にある。現代の消費社会では、新しいものを次々と手に入れることが一般的だが、レストアはその逆を行く。古いものを見直し、手をかけて修復することで、その価値を再発見するのだ。これは、物質的な価値だけでなく、感情的な価値も含まれている。古いものには、時間とともに積み重ねられた思い出や歴史が宿っている。

このレストアの精神は、我々の生活にも応用できるのではないだろうか。例えば、古い家具や家電を修理して使い続けることは、環境保護にもつながる。また、家族の思い出が詰まった品々を大切にすることで、物の価値だけでなく、感情的な価値も再確認できる。物を大切にすることは、持続可能な生活への一歩であり、環境への配慮にもつながる。

それは、モノを大事にする心、歴史を尊重する姿勢、そして持続可能な生活へのアプローチだ。那須烏山市の取り組みは、地域の歴史と文化を守りながら、新しい価値を創造する素晴らしい例だ。レストアを通じて、過去と未来をつなぎ、物の価値を再発見することができる。

全てのモノが想いを帯びている ということは全てのモノでレストアが可能であると言える 使い続ける価値をもう一度見つめてみよう

well being それではまた‼︎

55才の円熟 今だからこそ出来るコト‼︎

自分しか救えない人がいる、、、

起業して5年目の今 ベンチマークとしてちょうど良い存在っていると思っている あまりにも有名な人だと自己投影が難しいが、私のような存在ならばちょうど良い。だからこそ、少し前に出て照らしてあげたい

55歳の円熟の今、これまでの経験と知識を活かして、今だからこそできることがある。若い頃には見えなかった視点や、積み重ねてきた人脈、そして深い洞察力。これらを活かして、新しい挑戦に踏み出す人たちを照らしたい

自分しか救えない人がいる。その人たちのために、前に進む。起業ほやほやだからこそ、私の経験や知識が役立つ。これからの私や関わってくれる方々の未来に向けて、全力で取り組んでいきたい

面白くはなってきている

もっと面白く、、、していこいうか

well being それではまた‼︎

いかがでしょうか?さらに修正や追加したい点があればお知らせください。

見たくない現実ほど、未来につながっている、、、

血液のような資金、、、王道を育てる選択、、、

トランプ関税の影響は深かった、、、
あの一撃で、じわじわと資金繰りが苦しくなっていく。
子どもが一人独立して、少しは楽になるかと思っていた矢先、、、それを覆いつくしているのだから、、、

資金って、ほんと血液みたいなものだと思う。
止まれば終わるし、流れが悪ければ全身が重くなる。
見たくない現実だけど、そこから目を逸らすわけにはいかない。

資金繰りを見つめるのって、ある意味、自分の弱さと向き合う作業でもある。
だから苦しい。でも、そこを避けて通るわけにはいかない。
現実を直視することは、痛みを伴うけど、同時に前に進むための第一歩でもある。

そんな中で、唯一自分の手で動かせるものがある。
それが「事業の成長」という王道。
外部環境は変えられない。でも、自分の行動と選択は変えられる。

だからこそ、今はそこに集中したい。
資金の流れを整えながら、事業を育てていく。
それが、今の自分にできる最も現実的で、最も希望のある選択だと思ってる

自分を見つめる好機とも言えるのだ

チャンスとしてみたい

well being それではまた!!


からだを使い切ることでしか得られない休息、、、動き続ける日々の中で、ようやく訪れた静けさ

感神経のスイッチを切る方法感神経のスイッチを切る方法、、、

個人事業主という生き方は、常に何かが動いている。
頭の中では次の段取り、次の連絡、次の締切が渦を巻き、交感神経は休む間もなく張り詰めたまま。
止まることが怖いのではなく、止まり方を忘れてしまったのかもしれない。

眠りが浅い日が続いていた。
寝ているはずなのに、朝が来るたびに疲れが残っている。
夢の中でも何かを考えていたような、そんな感覚だけが残る。

今日は朝からゴルフ、そのままお客様の周年事業へ。
気づけば20,000歩を超えていた。
朝から夜まで、ひたすら動き続けた一日。
足は重く、体は鉛のように沈んでいたけれど、不思議と心は静かだった。

夜、布団に入った瞬間、深く沈むように眠りに落ちた。
何も考えず、何も感じず、ただ眠るという行為に身を委ねられた。
からだがようやく、「もういいよ」と言ってくれた気がした。

休むとは、何もしないことではない。
からだを使い切ることで、ようやく訪れる静寂がある。
頭で考える「休息」ではなく、からだが納得する「終わり」が必要だった。


でも、ちゃんと疲れた日は、ちゃんと眠れる

ココロが疲れたらカラダを動かせばいい
深い睡眠こそ最も深いリカバリーになるってことだ

well being それではまた!!


勝つだけでは足りない──大の里が挑む“横綱の品格”

「勝つ」から「背負う」へ──大の里が踏み出す、横綱という孤独な道、、、

大の里が連続優勝を果たし、横綱昇進が確実となった。だが、これはゴールではない。むしろ、ここからが始まりだ。

横綱とは、ただの強ければいいというものではない 土俵の上で「相撲道」を体現する存在、、、勝ち方、所作、振る舞い、すべてが見られる。勝って当たり前、負ければ非難。そんな理不尽な重圧を、誰にも頼らず一人で背負う。それが横綱だ

この「横綱」という地位は、江戸時代中期に誕生した。初代横綱・明石志賀之助に始まり、白鵬や双葉山、千代の富士といった名横綱たちが、時代ごとの「強さ」と「品格」を体現してきた。横綱は単なる番付の最上位ではない。国技・大相撲の象徴であり、時代の空気を映す鏡でもある。

昭和の双葉山は無敗の連勝記録で「神」と呼ばれ、平成の貴乃花は「角界のプリンス」として国民的人気を博した。白鵬は勝ち星で歴代最多を誇りながらも、時にその勝ち方が「横綱らしくない」と批判された。つまり、横綱には「勝ち方」以上のものが求められる。

大の里はこれまで、圧倒的な力で相手をねじ伏せてきた。だが、横綱には「受ける」強さが求められる。相手の呼吸に合わせて立ち合い、正面から受け止め、真正面から勝つ。技を交わすのではなく、受けて、耐えて、最後に勝つ。それが「横綱相撲」。

そしてもう一つ。横綱は「象徴」でもある。国技の顔として、時代の価値観や美意識を背負う。令和の時代、SNSで誰もが声を上げる中、横綱は沈黙の中で語らねばならない。言葉ではなく、相撲で語る。それが横綱の宿命。

大の里は「唯一無二になる」と言った。その言葉が本物かどうかは、これからの土俵で証明される。勝ち星ではなく、相撲の質で、時代を超える存在になれるか。

横綱とは、孤独な道だ。だが、その孤独の中にしか見えない景色がある

大の里がその景色を見に行く覚悟があるなら、我々はただ、静かに見守るだけだ。

いずれにしろニューヒーローの到来だ 

楽しみがまた増えたね

well being それではまた!!