今から始めればいいだけだ!!

自分の役割とは何か?──独立して見えた「救える人」の存在

「自分の役割は何か?」「何を果たすために存在するのか?」
そんな問いを、独立してからより深く考えるようになった。

同族企業を離れ、自らの意思で独立した今、私は「自分にしか救えない人」に広くアプローチできる状況をつくった。これは、誰かに誘われたものではなく、自分自身で切り拓いた道だ。

だからこそ、ただ一人で完結するような事業サイズにとどまっていては仕方がない。もっと広く、もっと深く、もっと遠くまで届かせる必要がある。

経営者という立場に対する視点

経営者が事業を立ち上げるという行為には、確かにチャレンジ精神がいる。その点には敬意を表する。
しかし、それ以上でもそれ以下でもない。経営者が人間として上位に立つわけではない。

「こうしたい」という想いが強かっただけ、、、それを表現したかっただけに過ぎない。
その動機が「善」であるかどうかも、さして重要ではない。むしろ、バランスは取れていなくても想いが強ければそれで進めるのだ。(もちろん長続きするかどうかは別問題である)

だから、実質的な差はそれほどない。思想がなくても、自己欲で進んだとしても、リスクを先に取った行動をした人には、全員チャンスがある。
そう誰にでも、挽回のチャンスはいくらでもある。

現実との向き合い方

ただ、今の今は、技術もない輩と比すと、自分の事業サイズは小さい。

「そんなところにいるなよ」とアドバイスはするが、「私と一緒にやろう」と雇用できるわけではない。
「大した差はない」と言いながら、ここには「大きな差」がある。

本当に「自分しか救えない人」を救うためには、まだまだであること、、、その背中を押してあげたいのなら
この現実と向き合わなければならない。

今は負けている。
しかし「ずっと負けていていい輩」ではない。
必ず、追い越してみせると誓いたい

最後に

このブログを読んでくれた誰かが、自分の役割や存在意義について考えるきっかけになれば嬉しい。
そして、もし今「負けている」と感じているなら、それは終わりではない。
今から始まればいいだけだ

well being それではまた!!

不要なモノを、必要なコトへ──リサイクルの再定義

「処理」から「創造」へ──吹田市の水平リサイクルが示す、リサイクル業界の未来

かつて、自治体がリサイクル事業者を選定する際に重視していたのは「安定的な処理能力」,,,
だが今、社会の価値観は大きく変化している。地球温暖化が進行する中、リサイクルのあり方も「処理」から「還流」へ、そして「創造」へと進化を求められている。

水平リサイクルという新しい基準

2025年、吹田市が打ち出した「ボトルtoボトル」プロジェクトは、ペットボトルを再びペットボトルとして生まれ変わらせる水平リサイクルの実現を、事業者選定の要件に加えた。

https://www.city.suita.osaka.jp/sangyo/1017983/1018018/1038310/1039524.html
これは単なる要件変化ではない。不要なモノを、必要なモノへ。そして必要なコトへと変えていく、価値創造型の産業構造への転換を自治体が明確に打ち出したという点で、非常に意義深い。

リサイクル業界は「ゴミ屋」から脱却できるか 目の前からなくなれば良いではない

吹田市のような自治体の取り組みは、業界全体にとっての「問い」として機能する。
リサイクルは「環境対策」だけでなく、「地域価値の創造」「社会課題の解決」「循環経済の推進」といった、より広い文脈で捉え直す必要がある。

価値創造企業としてのリサイクラーへ

これからのリサイクル事業者は、単なる処理業者ではなく、価値創造企業であるべきだ。
不要になったモノを、必要なモノに変えるだけでなく、地域や社会にとって必要な「コト」へとつなげていく。
そんな産業への変革が、今まさに求められている。

吹田市の事例は、その未来へのヒントを示している。
業界全体で「ゴミ屋」からの脱却を果たし、持続可能な社会の構築に貢献していく──その第一歩を、今、踏み出すべきだ

well being それではまた!!

循環へ~出かけるときは一緒に”が習慣になる日常へ

「ブック リサイクル プロジェクト」から見える、スポーツの新しい可能性

ジャパンラグビー リーグワン所属の横浜キヤノンイーグルスと共同で開催した「ブック リサイクル プロジェクト」は、単なるスポーツ観戦イベントにとどまらず、地域とファンをつなぐ新しい形のコミュニティづくりの場として注目されている

https://www.canon-eagles.jp/news/event/20241217.html: 循環へ~出かけるときは一緒に”が習慣になる日常へ

このイベントの素晴らしい点は、「出かけるときは一緒に」というコンセプトが、単発の催しではなく、年間を通じた習慣として根付き始めていることだ。家族や仲間と一緒にスタジアムへ足を運ぶという行動が、特別なものではなく、日常の一部になっていく。これはまさに、スポーツイベントが生活動線の中に還流循環の仕組みとして息づいていく理想的な形であると思う

運用しやすい企画とは?

このような集客力のあるイベントでは、以下のような企画が運用しやすく、継続的な参加を促すと考えている

  • ファミリー向けの体験型ブース(ミニゲーム、ワークショップなど)
  • 地域企業とのコラボ出店(地元の飲食店や雑貨店)
  • スタンプラリーや年間パスポート制度(来場回数に応じた特典)
  • SNS連動キャンペーン(「#ビーコルと一緒」などのタグで投稿)

これらは、イベントを「一度きりの楽しみ」ではなく、「また行きたい」「次も誰かと行こう」と思わせる仕掛けになるのだ

習慣化と行動変容の可能性

この取り組みがチーム単体ではなく、リーグ全体やスタジアム全体のイベントとして水平展開されていけば、より広い範囲で「スポーツ観戦=日常還流循環」という文化が根付きます。これは、根本的な行動変容を促す力を持っており、地域社会にとっても大きな価値となっていくと思う

スポーツイベントが「特別な日」から「いつもの日」へと変わるとき、そこには人と人とのつながり、地域との絆、そして持続可能なコミュニティの姿が見えていければと思う

well being それではまた!!


選べる人生をつくる──成熟と行動の交差点で~~

今こそ「やるトキ」──54歳、火を灯す理由

人生で最も力を尽くした瞬間を思い返すと、大学受験が浮かぶ。明治大学に入りたいという願望は、ただの希望ではなかった、、、あれは執念だった。何が何でも手に入れたいという強烈な欲求が、日々の行動を支配していた。眠気も不安も、すべてその一点に収束していた。

そして、手にした、、、目標は達成された。あの瞬間の達成感は、今でも胸の奥に残っている。あれほどまでに明確なアウトカムを持ち、全身全霊で向き合った経験は、他にない。

だが今はどうだろう。簿記の勉強も、研修講師への進出も、事業にとってプラスになることは理解している。だが、「やらなければ絶対にならない」とまで思えていないのか、、、だから手が止まる。動けない。心の奥に火が灯っていない感じがするのだ

この停滞の正体は何か。願望が弱いのか、、、今じゃなくても、、、と思い込んでいるのか。おそらくその両方だ。だが、現実は違う。54歳という年齢は、残された時間が無限ではないことを突きつけてくる。人生の後半戦に差し掛かっているのだ、、、もう「いつかやる」では遅い。

だが同時に、54歳という年齢は、これまで積み重ねてきた経験と知識が熟成され、ようやく自在に使えるようになった時期でもある。若さの勢いではなく、円熟の判断力と実行力がある。人との関係性も、仕事の土台も、過去の試行錯誤も、すべてが今の自分を支える資源になっている。

そして何より、今の自分には「知識の背景」が見える。ただ覚えるだけではない。なぜそれが必要なのか、どこでどう活かせるのか、どんな意味を持つのか。若い頃には見えなかった構造や文脈が、今は見える。知識が点ではなく、線や面としてつながっていく感覚がある。これは、年齢を重ねた今だからこそ得られる学びの深さだ。

さらに、できることが増えるというのは、単なるスキルの追加ではない。人生の選択肢そのものが広がるということだ。コンサルタントとして、メンターとして、提供できるメニューが増える。自分の可能性が広がるだけでなく、関わる人たちにも新たな価値を届けられる。自分の学びが、他者の成長や気づきにつながる。これは、年齢を重ねた今だからこそ実感できる喜びでもある。

つまり”やるにはちょうどいい”のだ 

むしろ、今だからこそやりやすい。今だからこそ、”やるべき”なのだ。

簿記も、講師としてのスキルも、事業に組み込むべきだ。だがそれ以上に、自分自身の内側にある「本気」を呼び起こすことが先だ。やるべきことは、目の前にある。あとは、やるか、やらないか。

54歳。今こそ、人生をもう一度燃やす時だ。

well being それではまた!!


”燃やすしかなかった”ものが”資源に還る”ということ,,,

多層の壁を越えて──プラスチック再生の転換点

チューブのような多層構造のプラスチック。
その複雑な層の重なりは、長らくリサイクルの限界を象徴してきた。
異なる素材が密着し、しかも使用後には内容物の残渣が残る。
分別も選別もままならず、行き着く先は焼却炉。
「サーマルリサイクル」という言葉が、どこかの正当化を引き受けていた

https://monoist.itmedia.co.jp/mn/articles/2506/11/news023.html

だが今、その前提が静かに揺らぎ進み始めている

単一素材でなければ原料に戻せない。
仕分けができなければ資源にはなり得ない。
そうした“常識”の外側に、技術が踏み出しつつある。

多層構造でも、残渣があっても、原料化の可能性が見えてきた。
それは、単なる技術革新ではない。
「戻せない」とされてきたものに、もう一度、循環の可能性を与えるということ。
それは、資源の話であると同時に、人間の選択の話でもある。

現実は、理想のように整ってはいない。
素材は混ざり、汚れ、分けられない。
それでも、そこから資源を取り戻す。
この変化は、循環型社会の実現に向けた、静かで確かな転換点だ。

燃やすしかなかったものが、資源に還る。
その一歩が、いま確かに始まっている

これからもそんな取り組みに注目発信をしていきたい

well being それではまた!!