毎日が「いいね!」であるわけでもなく、毎日が「よくない!」わけでもない‼

毎日が「いいね!」であるわけでもなく、毎日が「よくない!」わけでもない

そんな当たり前のことを、私たちは忘れてしまう、、、

目の前の出来事に飲み込まれ、気づけばネガティブな感情に引っ張られている 俯瞰してみれば、すべてが悪いわけではないのに、粗を探し、そこにフォーカスしてしまうそして「ここがダメだから、全体もダメだ」と結論づける。その視点が、可能性の芽を摘んでしまうこともあるのだ

すべてを管理し、運営していく責任を一手に背負う事業主であればその傾向は尚更で、、、その重みの中には確かなやりがいもあるが、同時に課題は絶えず付きまとう。取引が変わり、顧客が入れ替わり、売上が伸びたり縮んだりする。その波に揺さぶられることは、もはや日常の一部だ。

私自身、ここ数年で大きな変化を経験した。売上の8割を手放し、新たな取引を獲得しながら、結果として同じ水準を維持した。そして今期、過去最高の売上を見通せる状況にある。しかしその裏では、新規取引の拡大が思うように進んでいないという現実もある。よくやれているとも言えるし、まだまだだとも言える。結局のところ、どこに基準を置くかで、見える景色は変わるのだと思う

だからこそ、視点の持ち方が重要になる。毎日が絶好調なわけではない。しかし、絶不調なわけでもない。その間をたゆたう日々を、どう捉えるか。目の前の変化に振り回されず、それでも誠実に向き合い、やるべきことを積み重ねる。そうして自分自身の「信頼残高」を増やし、揺るぎない平穏を築く。焦燥に駆られることなく、自分自身に優しくあること。それは、他者との関係を円滑にし、さらなる成果へとつながる確かな道筋となる。

日々の揺らぎの中に、静かに根を張る。淡々と、それでも確実に積み上げていく。その先にこそ、事業の成長も、人生の豊かさも広がっていくのだろう

well being それではまた!!

当たり前を確実にタッチ出来ていくことで鮮やかになる毎日‼︎

風が気持ち良いと感じられること、、、

一歩踏み出すと、ちょうどいい風が頬をなでる。その瞬間、「あ、気持ちいいな」と感じられること――それは案外、当たり前じゃないのかもしれない。すべての人がこの感覚に気づけるわけではないし、逆に誰もが無意識に感じられるものでもない。でも、そこに意識が向くとき、人はきっと心と体のバランスが整っているのだろう。

朝の一歩目。この感覚が軽やかであれば、その日の流れは大きく変わる。「あぁ、今日もか…」とため息をつくのか、「よし、今日も!」と力が湧くのか、、、ほんのわずかな違いのようでいて、その後の気分を左右する大きな分岐点になる

気分の浮き沈みがあるからこそ、朝イチの印象が大事になる。その瞬間の気持ちがしっかりとしたものであれば、自然と足は前へと進んでいく。頭の中にかかっていた霧も、少しずつ晴れていくだろう。

「何かがあるわけじゃない今日」、、、でも、それを「何かがある日にできるかもしれない」と思えたとき、景色が変わり始めてくる

目の前の何気ない日常が、ほんの少しの気づきや意識で鮮やかになっていく。そんな変化を、たった一歩を踏み出した瞬間から感じられるなら、そんなチャンスに出会った今、その風の気持ちよさを味わいながら、ゆっくりと歩き出そうと思う

well being それではまた‼︎

積極的休養で疲労をぶっ飛ばす!!

疲労を抜くために、意識的にカラダを使う

人間の身体と心は密接に結びついている。頭を使い続けると交感神経が過剰に働き、思考が加速し続ける。それ自体は仕事のパフォーマンスを高めることに寄与するが、長時間にわたって続くと、今度は疲労として蓄積され抜けきれなくなる。特に今の私は、研修講師の資料作りに神経を集中させているため、脳がフル回転状態になっている。その影響で、心まで引っ張られ、過剰な思考が生まれ、次第に気にしすぎるようになり、それが不眠へと繋がってしまう——この悪循環は過去にも何度か経験してきた しかし、だからこそ、その流れを断ち切る方法も心得ている。

重要なのは、「頭で考えすぎたなら、身体を積極的に使うこと」。人は思考に没頭しすぎると、身体の感覚を忘れがちになる。脳だけが疲労し、身体は運動不足のまま——そのアンバランスが、心身の不調を引き起こす。それならば、頭ばかり使うのではなく、意識的に身体へ負荷をかけることで、バランスを取り戻せばいい。私にとって、その最もシンプルで確実な方法が「筋トレ」だ。ジムで全身を酷使することで、交感神経を適度に切り替え、思考の暴走を止める。身体が限界まで動けば、むしろ余計なことを考える余裕がなくなり、脳の過剰な活動も自然に収束していく。

その後は、入浴でしっかりと身体を温め、筋肉をほぐし、夕食をとってエネルギーを補給する。ここまでくると、もう睡魔が押し寄せてくる。この流れを作ることができれば、深く質の良い眠りへと誘われる。そう、睡眠こそが全てをクリアにしてくれる——これまで幾度となく、その効果を実感してきた。だからこそ、今日は外仕事だったにもかかわらず、さらに筋トレを追加した。明日の日曜日にしっかりリカバリーできるよう、あえて全身を酷使して、心身のガス抜きをしようと思ったのだ。

そして、仕上げとして、本を読み、簿記の勉強を少し行う。単なる作業ではなく、脳の別の部分を使うことで「良い疲れ」を作り、それを自然な眠気に繋げる。この流れを習慣として積み重ねていけば、不調に悩むことも減るし、日々のパフォーマンスも向上するはずだ。こうして整えていけば、快眠はほぼ確定——明日の朝は、すっきりとした気分で目覚めることができるだろう。

——よし、今日もよくやれた。この積み重ねこそが、心身のバランスを保ち、日々の充実へと繋がる

さて早めに休みますね

well being それではまた!!


失くすほどの自信はなかったはずだ、、、まだ「未完」であっただけだ!!

自信を無くす理由はない,,,

人は時に、理由もなく不安になる 季節が移り変わるように、心の中にも揺れ動く感情がある 気候に影響されて気分が変わることもあれば、ふと自分の歩んできた道を振り返り、「果たしてこのままでいいのか」と考え込んでしまうこともある

しかし、そんな瞬間にこそ、冷静に問いかけたい——自信を無くす理由が本当にあるのだろうか?

もし、これまでに全力を尽くし、それでも思うような成果が出なかったとしたら、そのときは「自信を失う」ということが起こるのかもしれない。だが、実際はどうだろう。多くの場合、私たちは本当の意味で「やるだけやった」と言えるところまで到達していない。三日坊主のように途中で諦めてしまったり、何となく気持ちが続かずに歩みを止めてしまったり——そうした「未完」を、あたかも「失敗」とみなし、そこに「自信喪失」という名をつけてしまう

しかし、それは本当に「失う」べき自信だったのだろうか。そもそも十分に積み上げてもいないものを「無くなった」と嘆くのは、何か違う気がする。

だからこそ、まずは「失ったら困るほどの量の自信」を積み上げることから始めるべきだろう でもそれがなかなか難しい、、、自信というものは、一朝一夕で築かれるものではないからだ 一進一退を繰り返しながら、少しずつ、着実に積み重ねることで形を成していく。その地道なプロセスこそが、習慣を変え、人生そのものを前進させる原動力になるのだ

思い返してみると、努力して後悔した人を私は見たことがない。しかし、努力しないまま後悔した人なら、数えきれないほど見てきた。成功とは結果であり、それに到達するまでの過程が、すべての試行錯誤を含むものであるならば、途中で歩みを止めることこそが、最も大きな損失なのかもしれない。

では、自分はどちらの道を選びたいのか——その答えはすでに明らかだろう。諦める理由など、どこにもないのだから

well being それではまた!!

どんなコトでも自分のチカラに変えていく!!

嫌われることにゾクゾクする、、、

人は誰しも、好かれることを望む 人間関係を円滑にし、社会の中で生きやすくするためには、他者との調和が必要だからだろう だが、一方で「嫌われる」という現象もまた、強烈な影響力を持つ 

イチロー選手の「嫌われることにゾクゾクする」という言葉は、この現象を逆手にとり、自身のエネルギーへと昇華する考え方の表れだ。

嫌われるということは、相手の意識の中に自分が深く刻まれている証拠でもある 無関心とは違い、相手の感情を動かしていることには変わりない。むしろ、まったくの無関心こそが最も厄介だ。何かしらの評価があるからこそ、そこに自分の存在を確認できる。賛否を巻き起こすほど、自分の影響力を実感できるということだ。

この考え方は、一般的な価値観とは大きく異なる。多くの人は好かれることで安心し、評価されることで承認欲求を満たそうとする。しかし、イチロー選手はその対極にいる。嫌われることすら、自分のスタイルを確立するための一つの要素として捉えている。他人にどう思われようが、自分が信じる道を貫くこと。それが、結果として自信につながり、さらなる前進の原動力となる。

もちろん、嫌われることを推奨してハチャメチャでは困る。ただ、他者の評価に振り回されて、自己の決断を曖昧にするくらいなら、嫌われることさえ力に変え、自分の意志で進んでいけばいいと思う 周囲の反応にいちいち左右されず、「へぇ、そういうことか」と冷静に受け止め、「じゃあやってやるか」と決断する。余計な感情に引っ張られず、自分のスタイルを貫くことで、より鮮明な生き方が見えてくる。

大事なのは、他人の目ではなく、自分の軸を持つことだ。他者の意見を過剰に気にする必要はない。ある程度の省みりは必要かもしれないが、それ以上の修正をする必要はない。最終的に、自分の人生の責任を取るのは自分だけ。他人の評価や批判に流されるのではなく、自分自身の意思で進み、結果を引き受ける。それこそが、本当の意味での「自分で決める」ということなのだろう

そこまで力に変えられたからあの域までいかれたのだろう 

やっぱ凄いですよね

well being それではまた!!