「痛みが教えてくれる、今を見直すきっかけ」

─ 身体の声に耳を傾ける習慣

「痛み」が教えてくれること

平均10,000歩を目指して歩いていたら、左膝が悲鳴を上げた。 どこかが痛むと、動くこと全体が億劫になる。 病院に行けばいいのだろうが、時間がかかるし、街の医院では対処療法が中心。 根本的な改善にはならない気がして、足が遠のく。

そんな中、久々にストレッチをしてみた。 するとどうだろう。 驚くほど身体が硬くなっている。 これでは痛むのも当然だ。 放っておいても、身体のPDCAが勝手に回るわけではない。

「今まではそれで良かったから」と、そのままにしてあることは日常にも多い。 身体も頭も、経験がバイアスになってしまう。 だからこそ、日常的にリセットして「今」を確かめる動作が必要だ。

痛みは、身体からのメッセージ。 それを無視せず、受け止めること。 そして、少しずつでも動かすこと。 それが、未来の自分への投資になる。

well being それではまた‼︎

前倒しの美徳と、あえて終える勇気

明日やるなら、今やる? それとも、あえて明日にする?

「明日やるなら、今やってしまったほうがいい」
そんな思考が染みついているせいで、いつもパソコンが手放せない。
予定を前倒しにして、タスクを片付けておく。
そのほうが顧客にとっても、自分にとってもメリットがある。
だから、そうしてきた。
それは間違っていない。一定の理屈もあるし、実際に成果も出ている。

でも最近、ふと思う。
「本当にそうなんだろうか?」と、、、

明日やれるものなら、明日にしてもいいんじゃないか。
「こうしたほうがいい」という思考は、いつしか「こうすべきだ」という義務感に変わっていく。
そして、終わりのないタスクの連鎖に巻き込まれていく。
これが終われば、また新しい課題が見えてくる。
その先も、また次がある。
キリがない、、、

だからこそ、今日はここまでやったと決めたなら、
今日はあえて終わる。
それは、明日へのパフォーマンスにもつながる。
余白を残すことは、次の一歩を軽やかにする準備でもある。

「今やるべきか、明日にするか」
その選択は、効率だけでなく、自分の心と体の声にも耳を傾けて決めたい。
前倒しが美徳になることもある。
でも、あえて“後回し”にする勇気も、プロには必要だと思う

well being それではまた!!


費用対効果に囚われすぎた自分へ

費用対効果という呪縛と、プロとしての体当たり

コンサルという性からか、私は「費用対効果」という概念にとらわれすぎていると思う。
それは、韻を踏んでいるように、耳に心地よく、理屈としても筋が通っている。
だからこそ、いい意味でも悪い意味でも、間違ってはいない。
しかし、そこに甘えている部分もあるのかもしれない。

相手を見てブレーキを踏んでいる。
「この人にはここまででいいだろう」「この状況ならこの程度で十分だろう」――
そんなふうに、無意識に“調整”してしまっている自分がいる。
だが、本来、相手によってどうこうするものではない。
自分の品質は守る。
自分の矜持は守る。
それがプロなんだと思う。

だから、たまにはまんま体当たりをしようと思う。
考えすぎず、赴くままに。
費用対効果を一度脇に置いて、全力でぶつかってみる。
その先に何があるのかはわからない。
でも、そこにこそ、今の自分に必要な何かがある気がしている。

コンサルという仕事は、理屈と論理の世界だ。
だが、だからこそ、感情や直感を封じすぎてはいけない。
たまには、計算を捨ててみる。
それもまた、プロとしての選択肢のひとつだと思う。


“忍”を生きる人と共にある日々

「忍」の人と出会って、学ばせてもらっていること

人間というものは、どうしても不平不満が口をついて出るものだ。
「こうしてくれなかったからできなかった」

「あの人がこうだったからうまくいかなかった」――そんな言葉は、日々の仕事の中で耳にする機会も少なくない。
それは決して悪いことではなく、むしろ自然な感情の流れだと思う。
自分の努力だけではどうにもならないことに直面したとき、誰かや何かのせいにしたくなるのは人間の性だ。

しかし、そんな中で、ほぼ人の悪口を言わない顧客がいる。
不満を抱えていないわけではない。むしろ、状況を見れば、誰もが「それは大変だったでしょう」と思うような場面に何度も直面している。
それでも、その人は「忍」で凌ぐ。
言葉にせず、態度に出さず、ただ静かに受け止めて、前に進む。
それが彼の生き方なのだろう。

もちろん、そんな生き方は並大抵のことではない。
私自身、そばで見ていて「さすがにこれはしんどいだろうな」と思うこともある。
だからこそ、せめて自分には吐露してくれるように、心理的安全性を育まなくてはと感じている。
「この人には話してもいい」と思ってもらえる関係性を築くこと。
それは、コンサルタントとしての技術や知識以上に、大切なことなのかもしれない。

そして、そんなふうに学ばせてもらえる顧客と接していられる自分は、なんと恵まれているのか。
「顧客から学ぶ」という言葉はよく聞くが、まさにその実感を日々味わっている。
彼の姿勢からは、仕事の向き合い方だけでなく、人としての在り方まで教えられている気がする。

この仕事をしていてよかった。
そう思わせてくれる顧客がいることに、心から感謝したい

well beig それではまた!!


神々しさに包まれて考えた、リスクと許容の境界線

無礼な輩と神々しさと、心理的安全性という問い

BtoCのサポートをしていると、時折「個人」という立場を乱用する輩に出くわす 個人事業主という自由な立場は、時にその自由さゆえに、礼節を欠いた態度を引き寄せるのかもしれない。ムッとする。けれど、同時に思う。こういう輩にも出くわすようになるほど仕事の依頼が来ているということなのだと。

予定調和の中だけで仕事をするなら、コンサルタントは要らない。想定外の事象にどう向き合うか、、、そこにこそ、価値がある。だから、無礼な輩すらも、ある意味では「素材」なのだ。面白きことに変えればいい。そう思えるようになったのは、経験の積み重ねか、それとも諦観か。

そして今日は初めて熱田神宮を訪れた。朝の空気の中、静かに歩く、、、神々しさが、空気の粒子にまで染み渡っているようだった。甘辛の食事が身体に馴染み、温暖な空気に包まれながら、ゆるやかに過ごす時間。こういう瞬間があるから、日々のざらつきも受け入れられる。

歩きながら、ふと考える。私にとってリスクとは何か、、、。それは、比較批評の輩との絡みである。彼らの存在が、私の心の揺らぎを生む。けれど、それ以外のことは、これに比べれば遥かに許容できるリスクだ。こまごました不満はある。でも、ある一定の不満がなければ、そもそも依頼は来ない。だから、回りまわって今ここにいる。

そうか、、、今想う”ざらつき”は大したリスクではないのだ ”自分しか自分を救えない”相手だからこそ、面白いのだ。

無礼も、神々しさも、心理的問いも、すべてが素材だ。それを味わえるのはコンサルならではなのだろう

well being それではまた!!